Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

この命、義に捧ぐ

根本陸軍中将の史実は、この本を読むまで知らなかった。


終戦時に日本陸軍支那方面軍司令官だった根本博中将は、内蒙古4万人の居留民と

支那派遣軍35万人を守るため、大本営の命令に反して侵攻してきたソ連軍と

徹底的に闘った。その上でソ連軍ではなく、蒋介石率いる国民政府軍に

武装解除された。幸いに蒋介石の温情もあり、居留民、兵士ともに昭和21年に内地へ

復員することができた。10年近くシベリアへ抑留された関東軍兵士や

満州居留民との運命が大きく分かれた。



 北京故宮で降伏文書に調印する根本中将。



根本中将は、蒋介石の恩義を忘れなかった。


1949年 国共内戦共産党の勝利に終わり、国民政府軍は台湾とその周辺の

島々に追い詰められた。


根本中将と旧陸軍軍人は、恩義のある蒋介石、国民政府軍を助けるべく、

九州より漁船で台湾に密出国した。

家族には釣に行くと言って、釣竿を持って出かけたが、「義」の為に命を捨てる

覚悟であった。

そして金門島に軍事顧問として赴き、古寧頭戦役で上陸してきた共産軍を

壊滅させ、共産軍の台湾侵攻を阻止させた。



この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡  この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡


3年後、根本中将が羽田に帰還した時、マスコミは「旧軍人の黒い台湾人脈」

などと否定的に扱った。戦後すぐだっただけに旧軍人への風当たりは強かった。

一方、台湾でも国民政府が旧敵国である日本軍人の力を借りたとあっては、

メンツが立たず報道されなかった。

そして60余年、両国の歴史から根本中将の存在は完全に消えていた。



この話には感動的なエピローグがある。

2009年10月25日 金門島で行われた「古寧頭戦役六十周年記念式典」。

1週間前に参加を許されたのは、根本中将と一緒に台湾に渡った「吉村是二」の長男、

第七代台湾総督明石元ニ郎の孫。の2名。

その席での馬英九台湾総統の振る舞いが・・・・・


「義」は脈々と受け継がれているのであった。



(新聞記事より)

台湾国防部は、根本中将の功績を公式認定。

蒋介石総統から根本中将が送られた景徳鎮の花瓶は、

天皇エリザベス女王に贈呈したものと同じだった。