昨日の報道ステーションで、今年亡くなった
感動して涙が流れた・・・。
野球小僧remix プロ野球80年代大事典 (白夜ムック Vol. 369)
1976年弱小球団(当時)「日本ハム」監督に就任し、
”負け犬根性”の染み着いたチームを改革していった。
その起爆剤となったのが、明治大学からドラフト3位で入団(一位、二位は
入団拒否)したキャッチャー大宮龍男。
「猛打賞いたれたら、最後の打席はぶつけろ!」という監督のサインもあったそうだ。
当時、西武広岡監督の選手の食事(菜食主義の徹底あ)まで管理する超管理野球に対抗し、
「草ばっかり食ってヤギさんじゃあるめえし」と喰ってかかり、人気者となった。
通算退場回数7回とその闘将ぶりがうかがえる。
生え抜き選手を放出し、大型補強も行いAクラスを狙えるチームに
なったが、接戦には勝ち切れなかった。
そこで大沢監督は動いた。当時、広島黄金時代の原動力、抑えの江夏を獲りに行った。
チームのエース高橋直樹との交換トレードで江夏を手に入れた。
監督は、練習、球場入りなどすべてを江夏には自主管理にまかせた。
但し、一つだけ注文した。
「大宮を一人前のキャッチャーにしてくれ」
そして迎えた1981年シーズン。前期は4位(当時は前後期制)。
後期1位。西武とのプレーオフを制し、日本ハムは発優勝を飾った。
大沢監督は男泣きした。
その年の日本シリーズは巨人との後楽園決選。
残念ながら巨人には敗れた。