Makotsu Garage

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明治を支えた「賊軍」の男たち

これは私が好むテーマだ。

新撰組を生んだ武州多摩生に育った私としては、

一夜にして「逆族」となった旧幕臣、佐幕藩の無念さは忸怩たる思い。

明治政府の冷遇の中、その逆境にあっても誇りを失わず、

近代日本の基礎をきずいた先人たち。そんな10人を紹介する。


明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社+α新書)     明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社+α新書)


渋沢栄一幕臣)    ―― パリ万博中幕府崩壊
福沢諭吉(中津藩→幕臣)―― 銃弾の中、塾で講義
榎本武揚幕臣)    ―― 幕臣随一の秀才
原敬南部藩)     ―― 藩長藩閥政治に鉄槌
山川健次郎(会津藩)   ―― 白虎隊、東大総長
野口英世(会津藩)    ―― 世界の医聖の会津


こういう話で思い浮かべるのは2人いる。


一人は、陸軍大将「立見尚文」。桑名藩兵(賊軍)として戊辰戦争を戦い、

敗戦後は謹慎生活を送っていたが、その軍事能力を明治政府に請われて陸軍入り。

日露戦争では、第八師団長として黒溝台会戦で大活躍した。


http://d.hatena.ne.jp/Makotsu/searchdiary?word=%CE%A9%B8%AB%BE%B0%CA%B8


もう一人は、佐川官兵衛会津藩家老)。

鳥羽伏見から会津鶴ヶ城落城まで戊辰戦争を戦い、武勇で薩摩藩長州藩からは

「鬼の官兵衛」と恐れられた。東京で謹慎した後に、会津藩士300人とともに、

警視庁の警察官となった。


明治10年西南戦争がはじまると、薩摩兵相手に弱腰な鎮台兵(徴兵された農民兵

を補完する意味で武士出身の警察隊が編成され投入された。

佐川官兵衛はじめ会津藩士は 「戊辰の敵!」「積年の恨み!」

と薩摩兵に向かって行った。


会津武士道 侍たちは何のために生きたのか    会津武士道 侍たちは何のために生きたのか


そして佐川官兵衛は、熊本県阿蘇郡の戦いで薩摩兵に狙撃され戦死した。

辞世の句は

 君がため 都の空を 打ちいでて 阿蘇山麓に 身は露となる



坂の上の雲」の秋山好古・真之兄弟も、賊軍伊予松山藩の出身である。