一言一句逃さずに聞き、肝心な所は手帳にメモした。
立川藤志楼(たてかわとうしろう)こと高田文夫先生が、立川志らくをゲストに迎えた「立川談志特集」。
ニッポン放送の秘蔵音源満載だった。 録音しておけばよかった・・・。

- 作者: 高田文夫
- 出版社/メーカー: 白夜書房
- 発売日: 2003/03
- メディア: 単行本
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聞いたことをすべて書き残そう。
●秘蔵音源
・「ラジオビバリー昼ズ」若手落語家、家元宅(練馬)突撃インタビュー
・「談志・円鏡 歌謡合戦」(ニッポン放送)
・「源平盛衰記」(談志32歳)
・「立川談志のオールナイトニッポン」(1996年)
・「芝浜」(談志65歳 よみうりホール)
・「立川談志朗読鉄腕アトム」(笑芸人vol.16ふろくCD) 笑芸人 (Vol.16(2005春号))
●電話での出演
●音楽
いやー楽しい番組だった。
「メソメソしてると、家元にバカヤロー! ウソ泣きしてんじゃね〜 って言われるからな」
と高田先生と志らく師匠は楽しく偲んだ。
楽しさの中にも心に染みいる言葉が数多くあった。
「落語は立川談志以前、以後に分類される。以後は落語家が己を語り始めた」
「坊主に金払うのはイヤだから、戒名は”立川雲黒斎家元勝手居士
(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)”にするって言ってて、本当にしちゃったね。」
「死んだ時の新聞の見出しは”談志が死んだ(ダンシガシンダ)”=回文
がいいって言ってて、新聞もそうしてくれたしね。」
「死因は喉頭(こうとう)がんではなくて、”ふとした病(やまい)で亡くなりました”
にしたかったんだよね。本当は・・・」
「慎ちゃん(長男:松岡慎太郎)と弓ちゃん(長女:弓子)の記者会見は立派だった。
家元、最期には家族のものだったな。」
「見事な、本当に見事な最期でした・・・」