Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

箱根駅伝物語

今年も見てしまいました、箱根駅伝

”山の神”柏原がキャンプの東洋大学完全優勝

我が母校國學院大學も2年連続10位とシード権を獲得。

神奈川大学の繰上げスタートギリギリの襷繋ぎ、など

今年もドラマ性にはことかかなかった



いまや”正月の風物詩”として定着している箱根駅伝だが、

今日のようにメジャーになったのは約20年程前からだ。

かつてラジオ中継しか行われなかった時代は関東地方、特にコースとなる

東海道沿線地域のお正月の風物詩とでもいうような非常にローカルな大会だった。

1979年から1986年までは、テレビ東京が1月3日にダイジェスト版を放送していた。 


大きな転機となったのは、日本テレビによる1987年からの全区間完全中継の開始。

そこから全国的な知名度・注目度が格段に向上し、年末年始の激戦区にあって

非常に高い平均視聴率(25%前後)をマークする優良コンテンツとなった。



箱根駅伝 (幻冬舎新書)

箱根駅伝 (幻冬舎新書)


1987年、私は日本テレビの中継技術局でケーブル捌きのアルバイトをしていたので、

末端の当事者として、第一回目の箱根駅伝完全生中継を体験している。


まさに局をあげての大プロジェクトで、現場は高揚感に溢れていた。

本部を麹町の日本テレビKスタジオをメインとして、大手町から箱根まで30か所の中継点に

カメラ、マイクロ中継機器を設置した。特に箱根路の中継点は山頂の為、スタッフは前日から

山頂に登りテントに泊まりこむ。カメラ、機材、中継車の数が足りず、全国のネット局から

応援人員・機材が大量に日本テレビに集まってきた。


私はというと日本テレビ四番町別館で、通信機材のメンテナンスや

バッテリー交換、Kスタジオへの緊急機材を届ける役目を仰せつかった。

確か12月29日〜1月4日まで、四番町別館に貼りついていた記憶がある。

中継が大成功した後の、打ち上げは大盛り上がりだった。


4月の就職を控えた、学生時代最後の冬休みだったが、

正月休みを返上しただけの価値はある、非常に貴重な体験だった。



当時は、パソコンも携帯もなく、こんな時代でした・・・(笑)

運転中の電話もお咎めなしだったんだ。