今年も見てしまいました、箱根駅伝。
我が母校國學院大學も2年連続10位とシード権を獲得。
神奈川大学の繰上げスタートギリギリの襷繋ぎ、など
今年もドラマ性にはことかかなかった
月刊陸上競技増刊 箱根駅伝公式ガイドブック2012 2012年 01月号 [雑誌]
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/12/21
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いまや”正月の風物詩”として定着している箱根駅伝だが、
今日のようにメジャーになったのは約20年程前からだ。
かつてラジオ中継しか行われなかった時代は関東地方、特にコースとなる
東海道沿線地域のお正月の風物詩とでもいうような非常にローカルな大会だった。
1979年から1986年までは、テレビ東京が1月3日にダイジェスト版を放送していた。
大きな転機となったのは、日本テレビによる1987年からの全区間完全中継の開始。
そこから全国的な知名度・注目度が格段に向上し、年末年始の激戦区にあって
非常に高い平均視聴率(25%前後)をマークする優良コンテンツとなった。
- 作者: 生島淳
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
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1987年、私は日本テレビの中継技術局でケーブル捌きのアルバイトをしていたので、
末端の当事者として、第一回目の箱根駅伝完全生中継を体験している。
まさに局をあげての大プロジェクトで、現場は高揚感に溢れていた。
本部を麹町の日本テレビKスタジオをメインとして、大手町から箱根まで30か所の中継点に
カメラ、マイクロ中継機器を設置した。特に箱根路の中継点は山頂の為、スタッフは前日から
山頂に登りテントに泊まりこむ。カメラ、機材、中継車の数が足りず、全国のネット局から
応援人員・機材が大量に日本テレビに集まってきた。
私はというと日本テレビ四番町別館で、通信機材のメンテナンスや
バッテリー交換、Kスタジオへの緊急機材を届ける役目を仰せつかった。
確か12月29日〜1月4日まで、四番町別館に貼りついていた記憶がある。
中継が大成功した後の、打ち上げは大盛り上がりだった。
4月の就職を控えた、学生時代最後の冬休みだったが、
正月休みを返上しただけの価値はある、非常に貴重な体験だった。
当時は、パソコンも携帯もなく、こんな時代でした・・・(笑)
運転中の電話もお咎めなしだったんだ。