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兵は拙速を尊ぶ 山口多聞

太平洋戦争のミッドウェイ海戦から70年だそうだ。

雑誌「歴史街道」が第二航空戦隊司令官山口多聞の特集を組んでいる。

タイトルは ”山口多聞「勝つ」ために何をすべきか


歴史街道 2012年 06月号 [雑誌]

歴史街道 2012年 06月号 [雑誌]


頻繁に歴史上のIF(イフ)の対象とされるミッドウェイ海戦

策敵機の発進の遅れ、敵空母発見のタイミングと兵装転換命令など

勝敗は紙一重だった・・・ と紹介されるが、

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

で敗因の根は非常に深い所にあるようだ。


ミッドウェイ海戦では、孫子以来語り継がれている戦いの極意

兵は拙速を尊ぶ」が勝敗を分けた。

敵空母発見に際して、第一航空艦隊司令長官 南雲忠一はじめ幕僚たちは

基地攻撃ヲ取リヤメ、艦隊攻撃ニ兵装転換セヨ」と命令を発信した。

これはマニュアル通りの模範回答だった。


しかし、攻撃機の装備変更作業(基地攻撃用の爆弾から艦船攻撃用の魚雷に爆装転換)は、

最短でも1時間半を要する。その間、敵は待ってくれない・・・

山口多聞は決断し、司令部に進言した。

現装備ノママ攻撃隊直チニ発進セシムルヲ至当ト認ム

空母決戦の本質を知らない南雲司令部はこれを黙殺した。


結果は歴史が物語っている。

装備変更作業中を襲われた日本海軍は、瞬く間に空母三隻を失った。


ミッドウェー海戦「運命の5分」の真実

ミッドウェー海戦「運命の5分」の真実


唯一無傷だった空母飛龍の山口多聞の真骨頂はここからだ。

通常の序列では先任の阿部弘毅が指揮を引き継ぐはずだが、

それをあえて顧慮せず、航空戦の指揮は自らが最適と判断し

我、今ヨリ航空戦ノ指揮ヲ執ル

全機発進!敵空母ヲ撃滅セントス」 と弔い合戦を決断した。

敵空母ヨークタウンを撃沈し一矢を報いた後、山口多聞は空母飛龍とともに最期を迎えた。


山口多聞―空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官

山口多聞―空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官


「兵は拙速を尊ぶ」。戦いの勝敗を分けるのはスピードである。

時間をかけて万全の準備をしても、敵に先制されればすべては水の泡なのだ。

また、「拙速」は時には犠牲を伴う、その犠牲を恐れ、平時のマニュアル通りに

進めて成功できるほど、実戦は甘くない。指揮官には覚悟と責任が問われるのだ。