Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

「終戦 なぜ早く決められなかったのか」

67年目の終戦記念日。会社でも正午に黙祷があった。

NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」を見る。


戦争末期の指導者の行動や判断には不可解な点が多い。

英国の公文書館などの未公開資料から、日本はソ連の対日参戦を早い時期から察知しながら

ソ連に和平交渉の仲介を期待し接近していたこと。のエビデンス(外交電文)が見つかった。

また当時の軍務官僚の肉声テープ(戦後録音)からは、強硬に戦争継続を訴えていた軍が、

内心では米軍との本土決戦能力を不十分と認識し、戦争の早期終結の道を探ろうとしていたことがわかった。




指導者たちは状況を正確に把握し、戦争終結のタイミングも理解しながらも、

会議(御前会議、戦争指導会議、大本営連絡会議)では、本音は言わない。

たとえ天皇が胸襟を開いて開催された、6月22日の御前会議でも指導者たちは本音を言わず

終戦のチャンスは8月15日まで延ばされてしまった。


その間、各地の空襲、沖縄戦ソ連参戦、広島・長崎原爆投下、そしてその後の満州・朝鮮からの

引き上げ、シベリア抑留と多大な人的被害が発生した。その責任をどうやってとるつもりだったのか?


この番組のテーマは、国家存亡の危機を前にしながらも、自己の権限の中に逃避し、

決定責任を回避しあっていた指導者の実態を浮かび上がらせる。 ということにある。

ここに登場する指導者、鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、米内海相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長らは、

外務省、陸軍省海軍省参謀本部、軍令部という組織の中に逃避し、組織にリスクがある決定責任は

徹底的に回避した。 つまり”官僚だった”のだ。


我々日本人は350万人の犠牲の上に、国家的な岐路における重要な決定をめぐる課題について

という点を反省し学んだはずだ。



日本軍の敗因―「勝てない軍隊」の組織論

日本軍の敗因―「勝てない軍隊」の組織論


「国力に大きな差がある国とは、総力戦をやってはいけない(勝てない)」

という命題すら見失ってしまう 「日本組織」の欠陥・・・

政府、政党、企業(自分の職場を含む)に継承されてはいないだろうか。


気がついた人間は、それを打破していかねばならない!