独ソ戦争はこうして始まった  後編

読了していたが、更新が遅れてしまった。

ヒトラースターリンともに独ソは闘わねばならないことは認識しており、

問題はそれがいつになるかだった。

ヒトラーは対イギリス戦、バルカン進出とのタイミングを図るために、

スターリンは大粛清で指揮系統が壊滅した赤軍立て直しに時間が必要だった。


独ソ戦争はこうして始まった

独ソ戦争はこうして始まった


1940年11月 ヒトラーは独ソ開戦を決意し、以降国防軍を独ソ国境に集結させていった。

スターリンの元には「ドイツ軍が移動を開始し、開戦を準備している」という諜報機関からの

莫大な情報が寄せられた。しかし、1941年中の開戦は避けたいスターリンは、

「ドイツ軍の一部将軍たちが開戦をさせるために挑発しているのだ挑発にのるな」と厳命する。

ヒトラーも1941年5月にスターリン宛の秘密書簡を送って開戦の秘匿を装う。

かくして1941年6月22日未明、ドイツ軍の対ソ作戦「バルバロッサ」が発動された。


宿命の「バルバロッサ作戦」 (WWセレクション)

宿命の「バルバロッサ作戦」 (WWセレクション)


ソ連にとっては完全な不意打ちだった。

ウクライナ方面の防御を厚くしていたソ連軍の予想に反し、ドイツ軍の主攻は白ロシアだった。

そこから半年、ソ連軍は大損害を出しながらもモスクワ前面で踏みとどまった。

以降、5年にわたり地獄の戦いが続く、最後にスターリンは勝利したが、

その裏には莫大な犠牲者数がある。

第二次大戦でのソ連の人的損害は2,000万人、ドイツ 550万人。(日本は310万人)。

一人の独裁者の猜疑心によって2,000万人の命が失われた・・・


こんなことは繰り返しちゃいかん。

日本も隣国たちも・・・。