Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

談志と生きた25年 「ひとりブタ」

4月の昇太さん独演会「オレスタイル」の

開口一番をつとめた立川笑志さんの著書「ひとりブタ」

を読んでいる。笑志さんは入門20年目で真打に昇進した。


長い修業時代(前座、二つ目)、師匠の言うことが

いかに理不尽でも弟子は師匠に逆らえない。

その師匠を選んだのは自分なのだから。


ひとりブタ: 談志と生きた二十五年

ひとりブタ: 談志と生きた二十五年


こんな場面があった。

演目「狸の札」を何度演じても家元(立川談志)は、

「う〜ん、ちょっと違うんだ」としか言わない。

そして「こうやって演るんだ」と演じて見せてくれた。その回数4度!

家元が前座に4度も演じてくれること自体、かなり特別なことだ。

ある日、「狸の札」を演じ終えると「それでいい」と言われた。

なぜ良かったのか全然わからないまま一年ほど経ったある日、

後輩の「狸の札」を見ていてわかった。


談志CD大全 21世紀BOX

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所作にとらわれすぎて、噺全体のリズムが壊れているのだ。

それならば最初から「台詞と所作が狂っている」と言葉で

教えてくれても良かったはずだ。しかし、わざわざ前座のまえで

四度も演じてくれた。


つまり、理屈でわからせようとしてもダメ、アタマで分かろうと

しないで、身体で覚えろということを家元は根気よく教えてくれたのだ。


全く同じ記憶がある数年前、合気道的な道場に通っていた時のことだ。

稽古ではとにかく叱られて叱られて注意された。まるで全人格を否定されるような叱られ方だった。

たまに「よし、その感覚を覚えろ」と言われても何が良かったのか全く分からない。

何故、詳しく教えてくれないのか? 

フラストレーションだけが溜まった・・・


いま本書を読んで理解できた。

先生は「アタマで分かろうとしないで、身体で覚えろ」と言っていたのだ。

サラリーマン生活20年、アタマで分かることに慣れすぎてしまったようだ。