Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

タイタニックと調律

NHKにファミリーヒストリーという番組がある。

著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材し、

アイデンティティ」や「家族の絆」を見つめる番組だ。

6/12放送は細野晴臣さんだった。


番組の最後に細野さんは言った

「やはり僕はタイタニックと調律を背負って生きてるんですね」


細野晴臣インタビューTHE ENDLESS TALKING (平凡社ライブラリー)

細野晴臣インタビューTHE ENDLESS TALKING (平凡社ライブラリー)


細野さんの父方の祖父”細野正文”は、鉄道技師として鉄道院より

ロシアへの派遣留学生となっていた。1912年、留学からの帰途、

タイタニック号に乗り合わせた。日本人唯一の乗客だった。

そしてタイタニック号は氷山に衝突し、沈没。

祖父は、ある偶然で、九死に一生を得た。

しかしその後、細野家はタイタニックの生き残りという

重荷を背負うことになった。



タイタニック号の犠牲者は1,513人、生存者は771名。

国内外のマスコミは「他人を押しのけて救命ボートに乗った」

と取り上げ、正文は社会的に大きな批判を受けた。その上、

事実無根の風評により降格となり、不遇のうちに鉄道院を退職した。

正文は一切弁解することなく非難に生涯耐えた。

以降、細野家ではタイタニックの話をすることはなかった。


  正文の手記


正文は1939年に亡くなる。

1981年、遺品の中から正文が救助直後に残した事故の手記が発見された。

そこには救命ボート乗船時の詳細な状況が記されていた。

1997年にタイタニックの遺品回収を手がけるRMS財団は、

細野の手記や他の乗客の記録とも照らし合わせた調査から、

正文がルールに則って救命ボートに乗ったことが証明された、


名誉回復が叶ったのはタイタニック号沈没から

85年たった1997年だった。

細野晴臣は正文に繋がる親戚一同を集めて

名誉回復を祝う会を開いた。細野家の名誉は回復された。



細野晴臣の母方の祖父は、ヤマハの前身、日本楽器製造で

ピアノ調律を学び、日本調律師の草分けになった人物。

晴臣は大学生の時、そんな祖父に調律師になりたいと言った。

しかし、祖父は「ダメだ」と。(その真意は再放送で確認

してください。ここにもドラマがあります)


ここから冒頭の細野晴臣さんの言葉が・・・

うーん唸ってしまった。


  細野正文夫妻