日刊スポーツの一面は工藤監督の胴上げシーン。
新旧監督での連続日本一はプロ野球史上初。
その記事の内容が感動的だった。
昨年9月30日、球団は秋山前監督の慰留を断念し、辞任を受理。
混乱の中、後日、工藤への監督就任要請が行われた。
その席で王会長が頭を下げた。
「こういうことになってしまって、大変申し訳ない。
下位のチームならまだしも、日本一のチームを
引き受けるのはリスキーだと思う。でも工藤君しかいない」
王会長と工藤は95年から5年間
ダイエー時代に師弟関係にあった。
工藤はその場で、積年の思いを吐露した。
「僕は後ろ髪を引かれる思いで(福岡を)出て行きました。
今までずっと良心の呵責を感じていました。
少しでも恩返しさせてください」
受諾の意思を真っ先に伝え、条件面の話し合いは
後回し。いわば「白紙」の契約書の合意した。
「アイツは金で動かないから、難しいんだ」
95年、工藤は常勝西武から福岡ダイエーホークスに移籍する。
99年、ダイエーは日本シリーズで中日を破り初の日本一になった。
王監督を胴上げし、工藤自身もシリーズMVPとなった。
シーズンオフ、ダイエー球団側は、日本一の功労者工藤に対し、
あまりに誠意を欠いた契約交渉を行った。
結果、工藤はFA宣言し巨人へ移籍した。
それを知ったホークスファンは「ホークスに残って」と
17万3千人が署名活動を行い、嘆願書を工藤に渡した。
その後、署名したファンの元に
工藤自身から住所と宛名が直筆のハガキが届いた。
ハガキにはこう書いてあった。
「マウンドで投げる47の後にいつもあなたの声援があったこと、
この5年間に感謝を込めてありがとうございます」
工藤は、ダイエーファンに直接、何の話もできなかった替わりに
署名に参加したファン全員に手紙を送り、感謝の気持ちを表した。
住所と宛名はすべて手書き。全員に手紙を送るのには約7年間かかった。
巨人ファンのことを想い、手紙のことは公言しなかった。
最強のソフトバンクを秋山監督から引き継いだ重圧・・・
「感無量」涙の舞い(胴上げ)であった。