Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

9年目と9年前の3.11

東日本大震災から9年。

あの日のことは忘れない。被災された方々の苦労、心労に

比べれば私などなんてことないのだが、

あの日は長い長い一日だったあの日に限って

なんであんなにいろいろあったのだろう・・・

 

非常用装備・食料。計画停電と節電。不要不急の外出・・

あの時期、強く肝に銘じていた事もいつも間にか忘れていないか?

そんな自戒も込めて、あの日の記憶、気持ちを記しておこう。

 

9年経った今日は暖かい日だった。気温が20度もあった。

しかも近所では桜が咲いている・・

 

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あの日の朝はすごぶる早かった。

朝4時半、車で友人を迎えに行く。6時過ぎの札幌便で北海道に行くので

羽田空港まで送って行った。見送り後、空港のラウンジで朝日を

眺めながら朝食をとる。いい一日のはじまり・・のはずだった。

 新宿区の職場には羽田空港から直行。この時期は決算間近の年度末。

営業部門では我々のような内勤者もローラー作戦で得意先を回り、少しでも

売上を上げるべく駆けずり回っていた。

13時半埼玉県羽生市書店さんを訪問する。オーナーにご挨拶の後、

2階の文庫売場で新潮文庫と角川文庫の欠本チェックをはじめた。

(高回転商品の欠本があればすぐに倉庫より補充納品する)

 

運命の14時46分。文庫棚の前にいる時に大きな揺れがきた。

揺れはかなり大きく長かった。本が棚から飛び出し散乱する。

危ないから店の外に逃げて!」書店員の方の大声が響いた。

店中の本が飛散し、階段吹き抜けにあったシャンデリア風の照明が

今にも千切れるんばかりに揺れる。「これはヤバいぞ!

慌てて外に出ると、周りの商店街からも大勢の人が外に出てきた。

 

しばらくして人々は落ち着きを取り戻し、状況確認しようとするが

電気は停電携帯は不通。羽入駅も真っ暗で状況が分からない。

書店のオーナーに「手伝いますので、落ち着いたら商品を元に

戻しましょう」と言うと。「いや今日は家に戻った方がいい

こちらは何とかするからと言われ帰宅することにした。

 

駐車場に着くと、入口のバーが停電で上がらず車が外に出せない・・

閉じ込められた。そのうち停電が復旧するだろう・・

焦らず車の中で待つことにした。周りには同じように閉じ込められた

ドライバーが沢山いた。車のワンセグでニュースを確認していると

被災地からの空撮映像に眼を疑った。そして凍りついた。

 

仙台平野を津波が駆け上がっている!!!

Oh! My God!」言葉を失い呆然とする・・

胸騒ぎで居ても立ってもいられなかった。

すぐさま家に、会社に安否確認の連絡を取らねば・・

 

停電はいっこうに解消の目途が立たず、焦りはつのる。

17時過ぎ閉じ込められたドライバーが集まり相談の上、

手動で入口のバーを開けることを決めた。「せえ~の!」

5人がかりで3メートル近い長さのバーをこじ開けた

 

車を出せると思ったのもつかの間、ワンセグを見続けていたせいで

車のバッテリーが切れてエンジンがかからなくなった。

周りのドライバー達に助けを求めるが、誰もバッテリーケーブル

持ってなくエンジンを始動させる術がない。

 

ガソリンスタンドを探そう・・

全く土地勘のない街を彷徨い歩くが、ガソリンスタンドは見つからない。

たまたま大きな郵便局があったので助けを求める郵便局も混乱の

真っ最中だったが、親切にも郵便収集車を助けに出してくれた。

バッテリーケーブルを繋ぎ、ようやくエンジンが始動できた。

こんな状況なのに・・・郵便局員さんには感謝しかない

 

18時過ぎ、なんとか家路につけることになった。

まだ東武伊勢崎線は止まっており、復旧の目途がたたない。

この日に車で来ていたのは本当にラッキーだった。

羽生から行田経由で東松山に出て圏央道に乗って帰ろう・・

と考えたが、まだまだ前途は多難だった。

 

まず停電で信号が付いていないので各交差点で渋滞が発生。

主要道の交差点では警官が交通整理をしているが、中小の交差点は

お互いの車が融通しあって通過するので時間がかかる。

おまけに圏央道が全面通行止め。延々と下道を行くしかない。

道路の両側は停電で真っ暗。車のランプしかない夜景が延々と続く。

 

22時過ぎ東松山まで来ると街に電気が付いていた。

携帯も繋がり各方面と連絡が取れるようになった。自宅は無事だった。

職場も無事で多くの人が職場に泊まっていた。社内や得意先もかなり

被害が出ており、すでに明日からの復旧作業シフトが組まれていた。

「明日は朝から町田の書店さんの復旧作業に行ってくれ」と指示を受ける。

 

本来なら、明日から釣り仲間の懇親旅行で千葉勝浦に行く予定だったが、

Hさんの迅速な判断で早々に中止を決めた。後で考えるとてもとても

行けるような状況ではなかった。

そして、翌日は従弟の結婚式でもあった。出席する母親と叔母を

明治記念館まで車で送って行くはずだったが、延期となった。

北海道に行った友人とは、この日連絡が付かなかった。北海道沿岸も

津波来襲との情報もあり心配したが、翌朝に無事との連絡がついた。

 

26時過ぎ、約8時間かけて自宅に着いた

疲れているはずなのだが、興奮しており全く疲れを感じない。

今朝、誰がこんな一日になると想像しただろうか。

いや、ここからが復興へのはじまりだった。 

 

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新型コロナウイルスとの闘う現在の状況は

なんだかあの日の空気に似ている。

もう一度振り返ることが重要だ。

あの日のことを。あれからのことを。