最近、世の中に古関裕而の名前が溢れ出した。
関連書籍、テレビ・ラジオでの特番・・Why?
作曲家・古関裕而をモデルとしているらしい。
自慢ではないが、古関裕而さんには会ったことがる。
会ったというか・・近くで見たことがある。
母校・國學院久我山高校の35周年記念歌「久我山讃歌」の作曲が
古関裕而さんだった。ちょうど私が2年生在学時にこの曲が出来た。
その発表式が学内で行われ作詞:伊馬春部、作曲:古関裕而の両名が
舞台上でスピーチし、曲がお披露目されたことを覚えている。
古関裕而さんは、当時から有名な作曲家であったので、
「へ~、すいぶん凄い人が作曲してるんだな~」と感心したものだ。
校歌とされていた。(お陰で私は通算8年間唄うことになった)
大学の校歌はスローテンポでゆったりしてた曲だが、
味会える曲調だったので、在校生からは非常に好まれた。
特にラクビー、野球、サッカー応援の際にはぴったりだった。
今でも一番だけなら口ずさむことができる。
近年ではサッカー部の歌として、後輩に歌い継がれているようだ。
3月25日のアフター6ジャンクションで放送された
特集「昭和の最重要作曲家・古関裕而特集 by辻田真佐憲」が
もの凄く面白かった。新刊「古関裕而の昭和史」を上梓した
辻田真佐憲さんが、古関裕而さんについて3つの顔(下記)
から昭和史と絡めながら解説する。
①国民的スポーツ作曲家としての顔
②軍歌の覇王としての顔
③大衆音楽の”よろず屋”としての顔
生涯の作曲数5,000曲。あらゆるジャンルに名曲を残した
天才作曲家・古関裕而のこんなエピソードも披露された。
・・・辻田さんの著書が無性に読みたくなった。
・作曲には一切楽器を使わず脳内で曲を作り、直接楽譜に書いた。
・机を4並べ、その間をぐるぐる回りながら同時に4曲を作曲した。
この曲も古関裕而さん。