町田独演会の二席目が始まった。
すぐに「高瀬舟」というキーワードが出てくる。
最初はマクラかと思っていた、しかし聞いているうちに
主人公の名前が出てきた・・・もしやこれは・・・
まさかとは思ったが、物語は「高瀬舟」そのままだ。
朗読でもなく落語でもなく、強いて言えば講談に近い形態で
物語を堪能した。こうゆう形態の落語もあるのか・・・。
かけているようだった。
「高瀬舟はオチがあるわけではないので、どう落語にするか?
いろいろ考えました。一か所だけ原作と変えています。」
と志の輔師匠がエンディングで話していたので、
早速、電子書籍で読み返してみるが違う部分がわからない。
(ここかなと思う部分はあるが今一つ確信がもてない)
この点は是非、答え合わせがしたいものだ。
「高瀬舟」は高校夏休みの読書感想文の宿題の課題だった。
・3年時:夜明け前(島崎藤村)
今振り返ると、なかなか硬派な作品ばかりで
選書した現代国語の先生達の思い入れが強く出ている。
しかし、1学年14クラス(@50人)のマンモス男子校の
血気盛んなヤンチャ高校生には・・・少々荷が重すぎやしないか?
かくいう私も当時読んでいたのは雑誌ばかりで、
文学作品を読むのは、年に一度。感想文の課題図書だけだった。
(本を貪るように読み始めたのは、受験勉強で図書館に通うように
なった高校三年の秋以降。)
当時は、この感想文が苦行だった。青春小説ならまだしも、
深い問題提起を含んだ文学作品だったから。
でもこの時のおかげで40年後に、「高瀬船」のストーリーに
すぐに喰いついていけた。その点では現代国語の先生に感謝。
読書というものは決して即物的ではないが、人間の引き出しを
増やし深みを増すものなのだ。今の時代この良さを伝えるのが
なかなかに難しいな。