Makotsu Garage

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キエフ包囲戦 1941

歴史群像の特集にもウクライナ紛争の影が色濃く出てきた。

今月号の特集では

 ・レンドリース法

 ・キエフ包囲戦 1941(独ソ戦) が取り上げられている。

 

4/28アメリカ下院は「ウクライナ民主主義防衛・レンドリース法 」を

可決した。第二次大戦で連合国に莫大な武器を供給したレンドリース法が、

復活した。まさに戦時体制に突入だ。

 

そして、独ソ戦前半のヤマ場の一つ「キエフ包囲戦」。今まさに

ウクライナとロシアで激しい攻防が行われている場所で81年前に

行われた戦闘…歴史が繰り返しているとしか思えない。

 

歴史群像 2022年6月号 [雑誌]

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1941年のキエフ包囲戦は独ソ戦前半の大きなターニングポイントだった。

ウクライナの経済的価値を重視したヒトラーは、幕僚たちの反対を押し切り

モスクワを目指していたドイツ中央軍集団からグデーリアン将軍率いる

第二装甲集団を引き抜き、キエフ方面での包囲戦に向かわせた。

 

その結果、ドイツ軍はソ連軍の退路を遮断し、キエフ周辺にソ連軍を

包囲し殲滅した。ソ連軍の被害は戦死と行方不明(捕虜を含む)を合わせて

61万6304人。一方ドイツ軍の戦死、行方不明者は1万4813人。

ソ連軍の南西方面軍が壊滅したした。ドイツ軍の大勝利だった。

 

 

 

しかし、この代償は高くついた。

グデーリアン将軍率いる第二装甲軍団は、キエフを離れ再び中央軍集団

復帰し、モスクワ攻略戦(タイフーン作戦)を開始したが、失敗に終わり

冬季持久戦に突入し。二度とモスクワ攻略のチャンスは失われた。

ドイツ軍(中央軍集団)にとって、キエフへの寄り道(その時間)は

致命的な影響をもたらした。

 

89年経ち、再びキエフ(キーウ)近郊での戦闘が繰り返されている。

この国(ソ連⇒ロシア)は、一会戦で60万の兵力を失っても、

戦いは止めない。第二次大戦では軍人・民間人合わせて2000万人~2800万人の

犠牲者を出しながらも、4年間闘い続け勝利をおさめた。

 

そんな国が戦争をしているのだ、開戦2か月の今、勝敗を語ることに

あまり意味はない。勝敗に一喜一憂するのではなく一刻も早く停戦

できるようにしなくてはならないのだが・・・