Makotsu Garage

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W杯サッカーの風 その1 日本代表の誇り

11/20からW杯サッカー2022カタール大会が開幕する。

なぜか今ひとつ盛り上がっていない感がある。

考えられる理由は二つ。

 ・時期が夏じゃない

 ・地上派の煽りが弱い

 

いつも暑い時期に見て、ビール呑んで盛り上がっていたから

まだちょっと違和感があるか・・・

W杯をカタールが暑いからと言って、ヨーロッパリーグ

真っ最中の11月に開催させるとは、恐るべきカタールマネー。

東京五輪が暑くてもNBCの言うことを聞かざるを得なかった、

事情とは正反対だ。

 

 

今回の放送は、Abemaが全試合無料放送。

他の地上波はポツポツと試合を放送。NHKの放送が圧倒的に減った

イメージがある。なのでNHKの煽りが弱い。

また毎日特番を放送してくれるのだろうか。

 

一方でテレビ朝日は、相変わらず全力で煽ってくれるので

嬉しい。ウッチー(内田篤人)を中心に煽りまくる。

過去のW杯の歴史を振り返られた日には、思わず涙腺が崩壊した。

 

日本代表がいかにW杯にチャレンジしてきたか、

いかに誇りと魂を込めて闘ってきたか・・・

その一部始終をリアルアイムで見てきたから

泣ける泣ける。そして胸が熱くなり高揚する。

 

 

ロスタイム(アディショナルタイム)にまさかのショートコーナー

イラクに同点ゴールを奪われ、9割9分掴みかけたワールドカップ出場権

が掌から零れ落ちた。 ピッチに崩れ落ちる選手たち・・・

テレビの前で呆然とし涙したドーハの悲劇(1993)

たった5秒での悲劇だった。

 

 

 

苦戦が続いたW杯予選。加茂から岡田に監督が替わり、

なんとかイランとの第三代表決定戦に駒を進める。

中立地マレーシアでの決定戦は先行、同店、相手がリード

追いつくというシーソーゲームで同店のまま延長戦に。延長戦では

明らかにイランの体力が止まり日本のペース、しかし決めきれない。

 

正座してテレビの前で切歯扼腕の延長戦。

ようやく中田のシュートのこぼれ球を岡野が決勝ゴール。

背筋が震え号泣したジョホールバルの歓喜(1997年)

 

 

1998年 フランスW杯

1998年6月14日 トゥールーズのスタジアムに日本代表が。

信じられに光景だった。夢じゃない。日本がW杯に出場している。

中田、名波、井原、中山、秋田、城、・・・

日本代表イレブンが眩しく誇らしかった。

 

アルゼンチンに0-1、クロアチアに0-1、ジャマイカに1-2。

点差でみれば最少失点だが、その差は無限に感じた。

勝てるだろうと皮算用していたジャマイカ戦にも敗北。

中山が骨折しながら執念の一点をもぎ取った。

日本代表のW杯初得点だった。

 

 

地元開催のW杯なんて一生に一度しか味わえないだろう。

2002年の夏は暑い暑い夏だった・・・(2002年 日韓W杯)

監督はトルシエ。日本代表にはシドニー五輪世代(黄金世代)が

合流し、舞台も役者も揃い期待は最高潮に達した。

強豪ベルギーに引き分け、ロシアにW杯初勝利。チュニジア戦にも

勝利し初の決勝トーナメント進出。

 

会社の近くのスナックが一夜にしてスポーツバーに早変わり、

日本代表の勝利に誰彼構わず抱き合って喜んだのを憶えている。

日本中があれだけ熱くなった記憶は、あれ以来ない。

 

 

決勝トーナメント初戦のトルコ戦。

今までの勢いが嘘のように何もできないまま負けた。

初めて相対するベスト8の壁だった。

 

市場調査と称し会社を出て、日野の蕎麦屋のテレビで

同じ部署の4名で試合を見る。(市場調査もやったが)

負けた瞬間・・・しばらく誰も声が出なかった。

皆、目に涙を溜めていた。

 


W杯への道のりは長く険しかった。

その末の初出場。決勝トーナメント進出。

我らが日本代表が心底誇らしかった。