私が”つかさん”に出会ったのは、忘れもしない
1982年9月23日(木)新宿紀伊國屋ホール
演目は「蒲田行進曲 Aプロ」
作・演出:つかこうへい
全身が雷に打たれたような衝撃だった。
終演後は息をするのも苦しかった。
あの瞬間から私の人生は大きく曲がり、今に至っている。
思えばあの瞬間の遺産で今の自分がある。
そんな”つかさん”が亡くなった。
入院を公表する前の正月に遺言を残していたそうだ。
以下、全文。
友人、知人の皆様、つかこうへいでございます。
思えば恥の多い人生でございました。
先に逝くものは、後に残る人を煩(わずら)わせてはならないと思っています。
私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうとは思っておりません。
通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。
しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
今までの過分なる御厚意、本当にありがとうございます。
2010年 1月1日 つかこうへい
「前進か死か!!」
最後まで駆け抜続けた”つかさん”の人生に 合掌。
18時30分。何の前触れもなく客電(客席の照明)がカットアウト。
何も見えない暗転になった。
その瞬間、耳をつんざく大音量で”Don't Let Me Down ”(The Beatles)がかかる。
ヴォーカルのカットインとともに、一筋のピンスポットが走り、
その先には、だんだら模様の羽織(新撰組)を着た
”銀ちゃん”(加藤健一)が刀を振りかざし見栄を切る!
それが”作・演出つかこうへい「蒲田行進曲」”の!
そして「私の人生」のもう一つの始まりでした。