Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

ゲスト 小松成美

11/20ビバリー昼ズのゲストは、

ノンフィクション作家の小松成美さん

(著作「M」のプロモーションでの出演だった)

いろいろと用事をこなしながら聞いていたのだが、

インタビューで緊張した瞬間ベスト3を聞いたら

感動のあまり手が止まり聞き入ってしまった。

どれも背筋が震えるほど劇的な瞬間だった。

こんな瞬間が本当にあるんだ・・

 

イチロー・インタビュー―Attack the Pinnacle!

イチロー・インタビュー―Attack the Pinnacle!

 

 

第三位 イチロー メジャー行きの決意

 

 オリックス時代のイチローを5年間にわたり密着取材

 していた。2000年のシーズンオフ、食事の席で

 「実は僕、メジャーに行きます」と伝えられた。

 当時、メジャーで成功した日本人野手はまだ一人も

 おらず、こんな成功があるなんて誰も知らなかった。

 「通用しなかったら、引退します。二度と日本球界には

  戻りません。ワンウエイのチケットで行きます

 と並々ならぬ決意を聞き、小松さんは泣いてしまい

 「その時は日本に帰ってきてほしい」と言った。それに対し

 てイチロー僕は退路を断っていきますと」。

  

 彼は心から鉄の意志の人だった。

 

中田英寿 鼓動 (幻冬舎文庫)

中田英寿 鼓動 (幻冬舎文庫)

 

 

第二位 中田英寿 ジョホールバル歓喜の前夜

 

 1997年11月 フランスW杯最終予選イラン戦の前夜

 小松さんは差し入れをもって激励に宿舎を訪ね食事をした。

 まだワールドカップに出たこともない日本代表は、

  セキュリティもゆるくプレスはいつでも選手に会えた。

 その時に中田は言った。

日本のファンと小松成美をW杯に連れてく!」と

 小松が「ありがとう。でも勝負は時の運だから、勝っても

 負けても懸命戦えばそれでいいんだよ」と言うと

俺の言うことを信じないのか!

 二十歳の中田英寿は怒った。 

そんなに俺を信じないなら帰れ!

(延長戦を制して日本はW杯初出場を決める)

 

 彼が日本のサッカーを大きく旋回させてくれ、

 歴史を大きく変えてくれた瞬間に立ち会えた。

 

  

第一位 オノヨーコさんに、ジョンレノンの死の瞬間を聞く

 

小松さんは大のビートルズ好きで、デビュー作は、

ビートルズが愛した女-アスリット・Kの存在」だった。

戦後50年の夏、オノ・ヨーコさんとポール・マッカートニー

広島への鎮魂歌(レクイエム)をリリースした時に、タコダハウス

インタビューすることができた

その時に「ジョンの死当時の話を聞いてよいでしょうか」と聞くと

オノ・ヨーコ「もちろんよ。それを今日話すためにあなたの

インタビューを受けているわ」と答えてくれ、「ジョン・レノン

死の瞬間とその後、なぜGUN(銃)撲滅に立ち上がったか」の

克明な記憶を聞くことが出来た。

 

1980年12月8日 ジョン・レノンオノ・ヨーコと一緒に自宅に

戻ったところをファンを名乗る男性に銃撃された。

救急車で病院に搬送されたが、病院で医者に言われたのは。

ジョンレノンは帰れない」なぜならば心肺停止だから。

あなたが持ち帰られるのはこれだけだ。」と医師から

血の付いたジョンの洋服が入った紙袋を渡された。

ジョンの遺体は検死もあり自宅に帰ることはなかった。

愛する人が数時間の後に紙袋に入って帰ってくる。この現実を私は

 受け入れることが出来なかった。だからこそGUN(銃)が無くなるまで

 そのことを訴えたいのよ。どうか、そのことをそのまま書きなさい

 

今あなたに知ってもらいたいこと

今あなたに知ってもらいたいこと

  • 作者: オノヨーコ
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2009/12/01
  • メディア: 単行本

 

インタビューを受ける側には、ファンに伝えたいの想い

とそれを語る覚悟がある。その覚悟をしっかり受け止め

活字にして読者に伝える力がなくてな務まらない・・

インタビューアーの凄さを見せつけられた。

いいゲストトークだった。(聞き手は春風亭昇太乾貴美子

 

忘れていた。トークのメインは「M」だった。  

M 愛すべき人がいて (幻冬舎単行本)

M 愛すべき人がいて (幻冬舎単行本)