朝番組の「イマジン」のピアノ生演奏に涙したばかりだが、
NHK-BSで「ジョンのイマジン」を取り上げていた。
3月8日 NHK-BS アナザーストーリー運命の分岐点
「ジョン・レノンそして”イマジン”は名曲になった」
世界が大きく揺らぐ度に、イマジンは静かに力強く歌い継がれていく
あの日から「ジョンのイマジン」が「私たちのイマジン」になった。
あの日は、3回あった。
・1980年12月14日 ニューヨーク セントラルパーク
ジョン・レノンは1980年12月8日、凶弾に倒れた(享年40歳)。
12月14日、22万人以上がセントラパークに集まり追悼集会が開かれ、
10分間の黙禱が捧げられた。その間ニューヨークのすべてのラジオ局は
放送を中断した。10分間の黙祷の後に流れたのは「イマジン」だった。
・1987年12月8日 チェコスロバキア プラハ レノンウォール
プラハの春(1968年)をソ連軍戦車に蹂躙されたチョコスロバキア。
検閲と統制の中、1987年12月8日にプラハ、レノンウォールの前で
800人が無許可のジョン・レノン追悼集会が強行された。(参加者は逮捕)
この流れは1989年のビロード革命(無血革命)につながった。
・2001年9月11日 ニューヨーク 同意多発テロ
アメリカの国論は愛国主義、復讐主義に一気に変わった。その風潮の中で
「イマジン」はラジオ放送局連盟が作成した「放送禁止(自粛)リスト」に入った。
しかし二人のDJがあえて「イマジン」を流した。
摩天楼に「イマジン」が響き、ニューヨークの至る所で歌われるようになった。
イマジンは真の意味で名曲になった。
世界が大きく揺らいでいる今、「イマジン」を声高らかに歌おう!