Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

Kaiser ベッケンバウアー

カイザー(皇帝)ベッケンバウアーが亡くなった。

 

ベッケンバウアー」「リベロ」「バイエルン・ミュンヘン

という3つの単語が、小学生の頃初めて憶えたサッカー用語だった。

ちょうど1974年西ドイツワールドカップの後だったと思う。

(この頃は、東京12チャンネル「ダイヤモンドサッカー」だけが

 海外サッカーの情報源だった。国内サッカーには情報という概念すら

 なかった時代・・・)

 

 

 

小学生の草サッカーではみんな「リベロ」をやりたがった。

リベロ」が何かも分からなかったが、皆ベッケンバウアーの真似が

したかった。 ヨハン・クライフ」「トータルフットボール」は

まだ小学生には理解できなかった(笑)。

 

1990年イタリア大会。ベッケンバウアーは代表監督になっていた。

時は日本がワールドカップに出る8年前。Jリーグが出来る3年前・・・

まだまだ日本サッカー紀元前の頃だった。ドイツも西ドイツだった

 

この頃からNHKがW杯を中継するようになり、私もかなり見ていた記憶が

ある決勝は前メキシコ大会に続いて同じ 西ドイツVSアルゼンチン。

アルゼンチンにはディエゴ・マラドーナがいた。

 

 

私は熱烈に西ドイツ代表を応援していた。

この時の代表チームは今でも選手の名前を言えるほどよく覚えている。

主将ローター・マテウスクリンスマン、フェラー、リトバルスキーヘスラー

ブレーメ、コーラー、ブッフバルト、他

 

ゲルマン魂」の西ドイツが4年前の雪辱を晴らし優勝した。

決勝のシーンは今でも目に焼き付いている。

私の中のベッケンバウアーは、優勝監督のこの時の印象が強い。

 

youtu.be

World Cup 1990 Final. Argentina vs West Germany (Highlights)

 

朝日新聞のスポーツ欄にベッケンバウアーの追悼記事が載っていた。

78年の生涯は選手と指導者としての実績にあふれている。

近年亡くなった、ヨハン・クライフ、ディエゴ、マラドーナ、ペレ

の各氏に続いて、現代サッカーに強い影響を与えた巨星がまた姿を消した。

 

改めて驚いた。クライフ、マラドーナ、ペレ、

そうか、みんな鬼籍に入っていたんだ。

訃報を聞く度に時の流れの速さを感じる。

 

その憧れだったドイツ代表に、日本代表は公式戦2試合連続で

勝利している。それもW杯を含めて。当時を考えれば信じられないことだ。

ベッケンバウワーの訃報と合わせて大きな時の流れを感じる。