読了して確信する。やはりこの本は力作だ。
春日太一さんが数百本の戦争映画(邦画)を観尽し、
終戦から現在まで「戦争映画」がどう描かれてきたかを
体形的にまとめた力作。こうゆうまとめ方は春日太一さん
の真骨頂。非常に分かり易く「目から鱗の」連発だった。
その時代その時代、映画制作者たちは、
「戦争」をどう伝えようとしてきたのか?
読了して一番感じのは、このことだった。
以下、本書に書かれている春日太一さんの
「日本の戦争映画、戦後変遷史」を自分のノート風にまとめてみた。
(1950年代前半)
・スタッフ、キャスト、観客もみな悲惨な状況を経験した人たちであり、
戦争に対する「怒り」「悲しみ」「空しさ」「憎悪」の思い。
「暁の脱走」「真空地帯」「きけ、わだつみの声」
(1950年代後半)
・日米安保条約、自衛隊創設、再び戦争のできる国へ(?)への危惧。
「戦争の残酷さ」を訴える作品で世の中への警鐘。
「ビルマの竪琴」「野火」(ともに市川崑監督)、「人間の条件」
・一方で敗戦後10年、経済白書「もはや戦後ではない」。戦争映画の娯楽化が
進み、エンターテインメント的な色合いの濃い作品が登場。
「人間魚雷出撃す」「敵中横断三百里」「軍神山本元帥と連合艦隊」
・喜劇調の戦争映画。アウトローキャラクターの戦争映画。時間の経過が、
自らの戦争・軍隊経験談を「笑える話」として出せるように・・。
「二等兵物語」「グラマ島の誘惑」(川島雄三監督)「独立愚連隊」
(1960年代前半)
・戦争映画娯楽化の流れから戦記アクション映画が生まれる。それに加え
円谷英二の特撮による迫力(リアリティ、スケールの大きい戦闘シーン)
「潜水艦イー57降伏せず」「太平洋の嵐」「太平洋の翼」
・特攻隊映画の 量産。特攻隊の描き方が変化(非人道的な作戦に
直面した若者の葛藤 → 国土防衛の為に勇んで命を捧げる若者 )
(1960年代後半)
・巨視的な視点からジャーナリスティックに争を捉える路線に。
その象徴が「東宝8.15シリーズ」(毎年夏に大作を上映)
(1970年代~80年代前半)
・日本映画の構造変化(中規模作品量産→少数大作での長期興行)
「オールスター超大作戦争映画」の登場。客を泣かせる「戦争情話」。
「八甲田山」「動乱」「二百三高地」「大日本帝国」「連合艦隊」
(1980年代後半~90年代前半)
・この期間「戦場を描く戦争映画」は姿を消していた。その間に
軍隊経験者たちは高齢のため映画製作の第一線から消え、戦後生まれの
世代が映画製作を担うようになる。戦争映画の大きな分岐点となる時期。
・個人の情念をぶつける場から、思想信条や理想など抽象的概念を
ぶつける場としての戦争映画に。戦争未経験制作者の距離感。
「戦場のメリークリスマス」(大島渚)1984年
・少年や少女を主人公に、空襲や疎開先が舞台の作品が中心に。
「ボクちゃんの戦争」「火垂るの墓」「少年時代」「戦争と青春」
(1995年・・・戦後50年)
・もはや観客にとっても「戦争」は遠い存在。その距離感をどう埋めるか
様々なアプローチ方法(タイムスリップ、登場人物を現代人のように描く等)
を模索しながら、戦後50年の年に3本の作品が作られた。
「WIND OF GOD」(今井雅之原作。漫才師が特攻隊員にタイムスリップ)
「きけ、わだつみの声」(緒形直人が現代から出陣学徒にタイムスリップ)
「君を忘れない」(唐沢寿明、木村拓哉、反町隆史が零戦パイロット役)
(2000年代~現代)
・テレビ局の映画制作進出、制作委員会システム導入などにより日本映画の好転。
デジタル技術の急激な進歩とあいまって、再び大作の戦争映画が作られる。
「ローレライ」「男たちの大和 YAMATO」「真夏のオリオン」「太平洋の
奇跡 フォックスと呼ばれた男」
・一方で「戦争」を体験してるベテラン監督が小作品で反戦メッセージを訴える。
「美しい夏キリシマ」(黒木和夫監督)「母べえ」(山田太一監督)
「この空の花 長岡花火物語」「野のなななのか」「花筐/HANAGATAMI」
(大林宜彦 戦争三部作)
そして「この世界の片隅に」片淵須直監督 2016。
永六輔さんの言葉を思い出した。(以下の画像)
戦争を体験していない者にとっては「グーの根も出ない」
言葉だ。もちろん反対する。大前提だ。
しかし、戦争を体験していない者も戦争を伝えなくては
いけないと思う。「映画」はその方法の一つでもある。
戦後一貫して「映画」は様々な形で「戦争」を伝えてきた。
その映画史の重みを本書で学んだ。