続き
1982年夏、私は友人のS君、IS君と北海道を旅していた。
オホーツク沿岸の浜頓別から稚内に戻る際、私一人列車に乗り遅れ
取り残されてしまった。次の列車は2時間後・・乗る予定の稚内発
札幌行きの夜行急行「利尻」」に間に合わない・・・
友人のS君、IS君、私の荷物もすべて列車とともに行ってしまった。
手元に残るのはウエストバックの中の切符、財布、文庫本1冊。
ヤバい・・・!
こんな田舎の駅(ごめんなさい)に取り残された・・
どうしよう・・・軽いパニックになった。
駅員さんに泣きついた。
詳細を話すと駅員さんは時刻表を見ながら
リカバリー策を提案してくれた。
「稚内方面とは逆の列車に乗り音威子府に出る、そこで待っていれば、
急行「利尻」が0時28分に停車するからそこで合流すればいいよ。」
??? まるで分からない。
駅員さんがもう一度地図を使って説明してくれて理解できた。
まるで 松本清張「点と線」ばりの 鉄道ミステリーのようだった。
つまり・・
合流するというもの。急行「利尻」が音威子府に着くのは0時28分。
浜頓別から音威子府に向かう列車はまだ2本ある。
これだ! この作戦にしよう。
駅員さんが鉄道無線で、稚内行きの列車に乗っているS君に
車掌さん経由で連絡を取ってくれた。S君も理解し私の荷物を
持って急行「利尻」に乗るとのこと。(まだ携帯のない時代です・・)
浜頓別から音威子府に向う列車は2本ある。
音威子府までは約1時間半とすると。
・19:11発 → 20:40頃着 「利尻」着 0:28 待ち時間 約4時間
・22:32発 → 24:00頃着 「利尻」着 0:28 待ち時間 約30分。
選択肢としては
「浜頓別」の街で4時間待って 22:32の列車に乗るか?
19:11の列車に乗って「音威子府」の街で4時間待つか? の判断となる。
上記写真が浜頓別のメインストリート?・・・
「何もない・・ここで4時間つぶすのは 無理だ。まずは音威子府に出て
時間をつぶそう。音威子府なら鉄道の要衝。稚内の街とはいかないまでも
ここ(浜頓別)よりは賑やかだろう。食堂、喫茶店があれば時間をつぶせる」
と考え。19:11浜頓別発に乗り音威子府に向う。
その際に相談した駅員さんが、「そんなに急いで音威子府に行かなくても
いいのに。もう少しここ(浜頓別)で時間つぶしていけば?」と言う。
・・・この言葉の意味が分かった時は、すでに手遅れだった。
これが音威子府駅周辺。
まるで西部劇に出てくる開拓村のようだった。
何もない・・・何もない街だった。
駅前には旅館が1軒。駅から5分も歩けば街はずれ。
しまった・・・ここで4時間をつぶすのか・・
駅員さんの言葉の意味がようやく分かった。
「音威子府に行っても何もないから、浜頓別にいた方がいいぞ」
と言ってたのだ。 しかしすでに後の祭り・・・
※音威子府村 人口703人(2020年11月) 道内で一番人口が少ない自治体。
ここで4時間待つしかなかった。
駅の窓口はすぐにカーテンが閉められ、駅の周辺も漆黒の闇。
唯一の旅館から宴会の声が聞こえるのみだ。
ひたすら薄暗い駅のベンチで4時間を過ごす。
これはキツかった。まさに独房に入れられているよう・・
手元にあるのは読み終わった文庫本一冊。
退屈で退屈で・・・退屈がこれほど苦痛とは思わなかった。
気が狂いそうだった。
そして0:28。札幌行き夜行急行「利尻」が到着。
ドアが開いてS君が飛び出してきてくれた。
ホームで感動の再開(?)ができた。
独房のような4時間を過ごした・・・
これが音威子府の想い出だ。
音威子府駅が駅そばで有名だと知ったのは 、かなり後になってから。
この時、持っていた文庫本が、角川文庫「蒲田行進曲」(つかこうへい)。
3か月後に私の人生を変えた「芝居」の小説版だった。