小宮孝泰プロデュース夜の部「落語会」
・「真田小僧」野々村のん
・「大人の王国」春風亭昇太
・ 出演者によるアフタートーク 「演劇と落語とは」
この日の昇太師匠はなかなかにすごかった。
これが観れただけでも行った価値があった。
アフタートークで昇太師匠はこう語った。
「最近は演劇的な落語ばかりに人気が集まっているんだよ。
あまり頭を動かずに上下きる落語はね~・・・」
私もその一人だ。
ある時期まで落語とは、おじいちゃんが座布団に座り、
右左を向いて演じ分ける古典芸能の一つだと思っていた。
落語という概念が根本から崩されていった。
「これもありなの!? まるで芝居じゃない。
落語ってすげえ~よ」
1982年12月につかこうへいの芝居を見て、芝居に対する概念が
変わり、その後の人生が変わった時のと同じだった。
それ以来プロレスラー最強説ではないが、噺家(落語家)最強説の虜となり
今に至る。なので昇太さんの「演劇的な落語にばかり人気が
集まっているんだよ」という話は腑に落ちる。
そう言ったアフタートークの後に、昇太さんは
「小宮さんの落語「権助魚」には、釣られた魚の悲しみが
出ていない。魚の悲しみはこう演じるん!」と怒りだし、
コントの流れそのままに、もう一席「権助魚」を演じてみせた。
アドリブが入りハチャメチャな展開ながら大爆笑を誘い、
狂気とも言える汗だくの熱演だった。
「オレも昔はこんな落語ばかりやってて
しょっちゅう怒られたものだよ」と呟きながら
演劇的落語を自ら演じて見せた。
このような変幻自在、多様性こそが落語の魅力であり、
古典芸能にならずに、今も現役のお笑い足りえる所以だと思う。
演劇的らくご・・・えんげきてきらくご・・・電撃的東京
近田春夫の昔のアルバムを思いだした。