体操男子団体。スケートボード男子ストリート
作家が台本を書いているような劇的な大逆転劇で金メダル!
朝からテンション幕上がり!
そして総合馬術団体に至っては、なんと92年ぶりのメダル獲得!!!
48歳、41歳、39歳の団体チームの名称は、自ら自虐的に付けた
「初老ジャパン」(笑)。いいね~。
ニュースでは92年前のロス五輪でのバロン西(西竹一)の金メダルに
ついての記事もちらほら目につくようになった。もはや伝説となった
「バロン西」。(バロン:男爵)
バロン西こと西竹一が陸軍軍人で騎兵畑を歩んだ。
西家は華族の男爵家であり正真正銘の西男爵だった。
身長175センチの長身でハンサム、明るく天真爛漫。趣味は馬術、射撃、バイク
(ハーレー)、自動車(クライスラーの高級オープンカー)を乗り回した。
陸軍の中でも騎兵は個性の強い者たちの集まりだった。髪型は坊主でなく
海軍風の七三に分け、オーダーメイドの軍服を纏っていた。
1930年(昭和5年)ロス五輪出場の為、アメリカと欧州での事前練習に
行った際にイタリアで、終生の友「愛馬ウラヌス」と出会い購入する。
ウラヌスと出場したロス五輪「馬術大障害飛越競技」で金メダルを獲得した。
ロスアンゼルス市名誉市民となった。
ロス五輪馬術大障害
その後、時代は戦争に向かい、戦争の主役も馬から戦車へと変わり、
西も騎兵から戦車兵へと転換し、第6戦車連隊長として満州北部に駐屯した。
戦争末期、西は戦車26連隊を率いて運命の島「硫黄島」の守備に就いた。
(硫黄島守備隊の司令官、栗林中将も騎兵出身だった。)
1945年2月16日上陸したアメリカ軍との間に死闘が繰り広げられた。
多くの被害を出しながらもアメリカ軍は徐々に日本軍守備隊を追い詰めていった。
そして3月17日。孤立無援となった陣地に西以下の戦車連隊は追い込まれた。
アメリカ軍側には、ロスアンゼルス五輪の英雄だった「バロン西」を
知っている者も多く拡声器で日本軍の陣地に呼びかけた。
「バロン西、我々はあなたを失いたくない。出てきなさい」
と日本語で幾度となく西に投降を呼びかけたが、
この呼びかけに西が応えることはなかった。
西竹一戦死(42歳)。
死ぬまで愛馬「ウラヌス」の鬣(たてがみ)を話さなかったという。
キナ臭い世界情勢の中のオリンピック。戦争は絶対ダメだ。
映画「硫黄島からの手紙」では伊原剛が西竹一を演じた。