Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

ヒットマンたちの山一抗争

1981年、”山口組”の三代目田岡組長が亡くなる。

四代目竹中組長の就任(1984年)を巡り、

反竹中派は山口組を分離し”一和会”を結成する。

直後から両者の間で大抗争が勃発した。 山一抗争である。


劣勢に立った一和会は起死回生の策として、四代目竹中組長の暗殺を謀り、

ヒットマンを地下に潜らせ、1985年に竹中組長、中山若頭を暗殺する。

No.1、2のタマを取られた山口組の怒りは凄まじく、血の報復がはじまった。


1984年から1989年にかけて山口組と一和会の間に317件の大小抗争が発生し、

死者29人、負傷者66人、逮捕者は560人に上った。


~山口組vs一和会 暗殺の裏側~ヒットマンたちの山一抗争

~山口組vs一和会 暗殺の裏側~ヒットマンたちの山一抗争


当時の報道は凄まじかった。

なんせ山口組のトップ2人がマンションの玄関で暗殺されたのだ、

テレビニュース、新聞の紙面、週刊詩、月刊誌、実話系雑誌・・・

あらゆるメディアが抗争の詳細をトップ記事で扱った。

山口組、一和会ともに頻繁に記者会見を行い、報道合戦がヒートアップした。


当時の私はその報道を隈なく見ていた。鮮烈な記憶に残っている。

そんな昔を報道を思い出させてくれる本のタイトルだった。

書店で見つけて思わず買って読んでみた。



本書には、暗殺計画の実行過程と、「山口組組長暗殺」の使命と絶望を

背負った4人のヒットマンの「極道としての美学」が描かれていた。


やはりヒットマンの根底にあったのは「極道の美学」であった。