やはり芝居に熱中してた頃に、大いなる刺激を受けた役者だった。
最初にを観たのは、「奴婢訓」だったか「レミング(壁抜け男)」
だったか記憶が定かではないが、強烈な存在感と色気に驚いたのを
覚えている。その後、PARCO劇場で観た際には、劇中に若松武史が
通路に表れ私の脇で演じ始めたことがあった。
私との距離は約50cm・・・なんと鋭利な。なんという色気。
背筋が震えた。
私が大学2年の春5月、寺山修司が阿佐ヶ谷河北病院で亡くなった。
なのでタイミング的に天井桟敷の芝居を見れたのは、本当に
ギリギリ最後だった。この点は非常に残念だった。
フェスティバルには足しげく通い、後追いで寺山ワールドを
体感しようとした。特にPARCO SPACE PART3で1985年に開催された
「寺山修司 全映像詩展」では6日間の期間中に長編、短編合わせて
29本の寺山作品を一気に観た。
後期寺山映像作品の中で、若松武史は妖艶な存在感を醸し出していた。
寺山後の若松さんの出演作品は、大河ドラマ以外は、
ほとんど観ていなかった。私の中の若松武史は今でも
寺山作品のままだ。それだけ強烈なインパクトを受けたから・・
合掌。
家のダンボールをひっくり返したら、当時のパンフレットが出てきた。
「寺山修司 全映像詩展」1985年5月21日~5月26日
渋谷PARCO SPACE PART 3 企画・制作:パルコ・人力飛行機舎