Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

チャーリーさん(Oさん)のこと

新卒で入社し最初に配属された部署にOさんという先輩がいた。

オールバック銀縁眼鏡をかけ、いつも三つ揃えのスーツに身を包んだ

おじさんだった。いやおじさんに見えた。

当時私が入社早々で20代半ば、部署内の序列から考えると

きっと30代半ばだったと思う。今思えば「そんなに若かったんだ!」

と驚愕するが、当時はみんな昭和のオッサンだった。

 

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Oさんは茨木県北部の出身、そう言えば朝ドラ「ひよっこ」と同じ訛りだった。

訥々と話す会話の中から繰り出すギャグは切れがあり面白かった。

月曜日は土日分の注文が多いので出荷作業のために毎週残業となる。残業が

終わると飲みに行き、テンションの高いままスナックに繰り出す。

 

Oさんは歌がすごく上手い。地元のカラオケ教室に通っているという噂を

聞いたことがあった。あながちそれも本当だろうと思わせるぐらい上手い。

「銀座の恋の物語」「アマン」「新潟ブルース」等・・ザ昭和・スナックな

曲を歌いながらも、時折、田原俊彦や平成初期のヒット曲をを織り交ぜる。

特に「ごめんよ涙](田原俊彦)は絶品だった。

 

そんなOさんは、当時「ごめんくさい」で関東での人気の上昇中の

チャーリー浜に似ていた。カラオケの間奏では「チャーリー!」とよく

声をかけられていた。しかしある日、Oさんチャーリー説を根本から

覆すことがおきた。

 

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人事異動で現業部門から営業に来たSさんだ。

オールバック黒縁眼鏡、そして三つ揃えのスーツ

皆口々に叫んだ「チャーリー浜だ!」その日からSさんが

チャーリー」と呼ばれることとなった。

元チャーリーさんのOさんは、その後、他の営業所や

支店に異動となったので接点はなくなり、その後、

退社したという話を聞いた。確か家が23区内の地主だと

噂になっていたので生活には困らなかったのだろう。

 

チャーリー浜さんの訃報(合掌)を聞いて、なぜかOさんの

ごめんよ涙」を思い出した。

 

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