Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

「座談会・つかこうへいの70年代」を聞いて

5月14日の早稲田演劇博物館主催の演劇講座

「座談会・つかこうへいの70年代」(大隈記念講堂)の感想がなかなか書けなかった。

いろいろな思いが詰まりすぎて、纏められなかった。

様々な参加者の感想(ブログ)を読み、ようやく・・・




風間杜夫平田満、根岸季枝・・・

劇団つかこうへい事務所(1982年解散)の看板俳優が揃った座談会で

当日集まった1000人以上の聴衆が聞きたいことは、

おそらく私と同じだったと思う。

1989年の活動復帰後の「つかさん」の芝居をどう思うのか?


みんな1982年間から30年間、考え続けてきた問題の正解を

当事者達から聞くために来ているのだ。



私は、1982年の劇団つかこうへい事務所の最後の公演で観た

蒲田行進曲」以上に衝撃的な芝居に巡り合えていない。

それは仕方がない。つかさんは天才だから・・・。

1989年「今日子」で、つかさんが演劇活動を再開させた。


私も含め多くの人々は、以前のつか芝居を、いやそれ以上に

パワーアップした芝居を求め劇場に向かった。

しかし、どうもちがうのだ・・・。

いや、全然ちがうのだ。

なぜだ? なぜだ?  答えを探しに何度も何度も劇場に足を運んだが、

分かったのは、”前とは違う”のが動かしがたい現実だということだけだった。

そして、足を運ばなくなった・・・。



座談会で「復帰後の作品をご覧になりましたか?、どう思いましたか?」との問いに


風間杜夫 「最初何本か観ました。なんとなく馴染めませんでした。その後は観てません」
平田満  「違うものに思えました」
根岸季枝 「楽しかったのだけれど、自分たちがやってたのとは違いました。」


やはり、そうだったんだ。

それが聞きたかった。

同じ思いだったんだ。

30年間考え続けていた問題の答えが分かった。


座談会に行って本当に良かった。


つかこうへいの新世界

つかこうへいの新世界


帰りに大学時代の友人と高田馬場で焼肉を食べた。

彼は風間杜夫平田満長谷川康夫 他とも一緒に芝居を

していた、いわば「つか劇団」の関係者でもあった。

曰く「つかさんが一番よく分かっていたんだよ。旗揚げメンバーつかえば

   面白くなることも、よくわかっているんだけど、つかさんは”美学”の人だから。

   
痛々しい程ストイックなつかさんの美学・・・。

「一回性の演劇」にこだわり続け、芝居の映像は一切残していない。

平田満さんも座談会の中で言っていた「記憶に残るのが一番だなと・・・」


その美学が少し理解できた気がする座談会だった。

1982年。70年代のつか芝居に間に合った奇跡は、私の人生の宝物だ。


座談会の詳細は、この方のブログが非常に参考になります