Makotsu Garage

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ジーコ「90分間、私は日本の敵になる」

ワールドカップ最終予選。日本は1-0でジーコ監督のイラクに勝った!

ジーコが日本を離れて6年。

国情が不安定なイラクで、ジーコは今も挑戦を続けている。

それは日本に来た時と同様なのだろう・・・。


1990年、ブラジルスポーツ大臣の座を投げ捨て、再び現役選手として

Jリーグ開幕前の住友金属(現:鹿島アントラーズ)のピッチに立った。

以後15年間、選手としてクラブ監督として代表監督として日本サッカーに多大な貢献を

してくれた。 Number806号でジーコの独占インタビューが載っている。

ジーコ独占告白 90分間、私は日本の敵になる



クラブや国が変わっても私のサッカー哲学は変わらない。

 そしてサッカー言語は世界共通であるという見方も変えていない」とジーコは語る。


そう語りながらも、日本選手の名前がすらすら出てくる。


「日本代表はさらによくなってきている。素晴らしい選手がたくさん現れてきているからだ。

 長谷部、遠藤、前田は大きく成長した。駒野や遠藤は私と一緒にやっているし、

 前田も当時から前線のオプションというべき存在であり、招集したこともあった。岡崎の出現も大きい。

 本田については、代表監督として名古屋グランパスの試合を観に行ったときに、名古屋の監督の

 ネルシーニョから期待している選手だと聞かされた・・・・・」

「長友と内田は、2人ともとても素晴らしいサイドバックだ。インテルのようなチームで

 レギュラーをとることは並大抵のことではない。内田もシャルケで活躍しているし、将来有望な選手だ。」

ザッケローニ監督も、日本に適切なサッカーを指導している。彼を監督に迎えたことは日本にとってよいことだった」


日本を離れてからも日本代表チームを意識し続けてきていることは明らかだった。


しかし、日本代表戦に対しては

イラクは遠藤、長谷部をまちがいなく厳しくマークするし、自由にはさせないだろう

90分間、私は日本の敵になる!」と語る。


”日本サッカーの功労者”ジーコへのリスペクトは不変だが、

今日は日本代表が勝たしてもらいました・・・。


そう言えば、ドーハの悲劇(1993年)の対戦相手はフセイン時代のイラクだった。