ワールドカップ最終予選。日本は1-0でジーコ監督のイラクに勝った!
ジーコが日本を離れて6年。
それは日本に来た時と同様なのだろう・・・。
1990年、ブラジルスポーツ大臣の座を投げ捨て、再び現役選手として
Jリーグ開幕前の住友金属(現:鹿島アントラーズ)のピッチに立った。
以後15年間、選手としてクラブ監督として代表監督として日本サッカーに多大な貢献を
してくれた。 Number806号でジーコの独占インタビューが載っている。
Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 7/5号 [雑誌]
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「クラブや国が変わっても私のサッカー哲学は変わらない。
そしてサッカー言語は世界共通であるという見方も変えていない」とジーコは語る。
そう語りながらも、日本選手の名前がすらすら出てくる。
「日本代表はさらによくなってきている。素晴らしい選手がたくさん現れてきているからだ。
長谷部、遠藤、前田は大きく成長した。駒野や遠藤は私と一緒にやっているし、
前田も当時から前線のオプションというべき存在であり、招集したこともあった。岡崎の出現も大きい。
本田については、代表監督として名古屋グランパスの試合を観に行ったときに、名古屋の監督の
ネルシーニョから期待している選手だと聞かされた・・・・・」
「長友と内田は、2人ともとても素晴らしいサイドバックだ。インテルのようなチームで
レギュラーをとることは並大抵のことではない。内田もシャルケで活躍しているし、将来有望な選手だ。」
「ザッケローニ監督も、日本に適切なサッカーを指導している。彼を監督に迎えたことは日本にとってよいことだった」
日本を離れてからも日本代表チームを意識し続けてきていることは明らかだった。
しかし、日本代表戦に対しては
「イラクは遠藤、長谷部をまちがいなく厳しくマークするし、自由にはさせないだろう」
「90分間、私は日本の敵になる!」と語る。
”日本サッカーの功労者”ジーコへのリスペクトは不変だが、
今日は日本代表が勝たしてもらいました・・・。
そう言えば、ドーハの悲劇(1993年)の対戦相手はフセイン時代のイラクだった。
サッカー日本代表 vol.3(1993ー1994―世界への挑戦 ドーハの悲劇 (ベースボール・マガジン社分冊百科シリーズ)
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