Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

さらば!三省堂書店神保町本店

神田神保町に行った目的は、5/8で閉店する

三省堂神撫町本店を目に焼き付けておくことだった。

 

 

 

神田神保町(正確には駿河台下)のランドマーク

三省堂書店神保町本店」が老朽化による建て替えで姿を消すこととなった。

この建物ができたのは1981年。1980年代というと、つい最近のような感じるが、

すでに40年が経過している。

 

壁面には話題の垂れ幕

いったん、しおりを挟みます。」が垂れ下がる。

いいコピーだ。

 

 

改めて神保町本店を見上げると、

趣のある正面の佇まいと巨艦的な大きさが目立つ。

 

私の社会人人生は、このお店から始まったといっても過言ではない。

語りだしたら尽きないぐらいの思い入れがある店舗だ。

 

 

1987年に取次会社(トーハン)に入社した私は、1年間の現場研修の後に

特販1部2課という三省堂書店さんを担当する営業部署に配属になった。

配属後すぐに課長に連れられ、神保町本店(当時は神田本店)の7Fにある

本部(役員)に挨拶に伺った。それから4年間、三省堂書店さんの担当として、

社会人としての、営業としてのイロハを学ばせていただいた。

 

右も左も分からない若造が、やる気と鼻っ柱だけは強く突っ走ったので

三省堂書店にはご迷惑をおかけしたと思う。当時のことを思い出すと

顔から火が出るほど恥ずかしい。(だから思い出さない)

・・・まだまだ学生気分が抜けていなかったのだ。

 

 

私が担当したのは、新宿西口店(小田急デパート内)、サウスブックポート店

(新宿小田急ミロード内)、都庁店、渋谷店(東急文化会館内)。残念ながら

三省堂書店としては一軒も残っていない。

 

神保町本店には、本店担当者のKGさんが休みの時や、ローテーションで出勤の

土曜日に訪問していた。神保町本店のトーハン取引(帳合)は雑誌全般と医書

中心だった。営業促進に行くときは、東五軒町の本社1Fで2トントラックに荷物を

積み込み、トラックに同乗して向かう。

 

店に着くと荷物を降ろし、地下一階の仕入で荷物を届ける。

その後、1Fの雑誌売り場、5Fの医書売り場を中心に、担当者に促進する。

一応、他帳合だが全フロアの売り場を回る。

当時、すずらん通り裏には神田村(専門取次店)が控えており、常に納品スピード、

部数確保の競争を強いられていた。小回りの利かない大手取次にはこの点が

辛かった。かなり苦汁を飲まされたものだ。

 

店を上から下まで回った後は、7Fの事務所・経理、別棟の外商部、ブック急便(宅配)

担当の特販部を回り促進終了。これが神保町本店の営業コースだった。

そっから九段下まで歩きバスに乗って東五軒町に戻る。

 

仕事で神保町を歩くことは、この仕事についてよかったと感じる数少ない瞬間だった。

 

 

 

三省堂書店さんの中で「神田店(今の神保町本店)」という存在は別格。

規模、品揃え、スピード・・あらゆる面でリスペクトされるシンボリックな

店舗だった。在庫の無い商品の問い合わせを受けても、神田店に問い合わせれば

大概の商品は調達できた。特に学参・辞典の在庫は圧倒的。

 

当時、各店の店長・主任さんとは公私を超えたお付き合いをさせて頂いた。

良くお聞きした話は、

現在の神保町本店が出来る時(1981年)の話。

旧店舗を取り壊し、現在の店舗ができるまでの間、すずらん通りに面した

文房堂」(文具店)のビルを仮店舗にしていた。仮店舗には本当にお客さんが

来なくて暇だった。一日中、新店舗が出来たらどうゆう品揃えをしようか

と考えてばかりいた。そんな不完全燃焼なマグマを溜めつつ、新しい神田本店が

出来た時は本当に嬉しかった。マグマが爆発した。

 

この話と、

自らが企画した、白夜書房ブックフェア「ワイセツは芸術だ」が

大当たりした話を何度も聞かせてくれた三省堂書店さんOBのFさんは

数年前に鬼籍に入られた。

 

今の三省堂書店さんも、新たな向けて同じ気持ちでいるんだろうな。

やはり神保町にはランドマーク「神保町本店」がないと寂しい。

 

神保町本店の第二章へ こうご期待!

 

 

この路地を2トン車でグリグリと直進し、

搬入口で荷物を降ろし、エレベーターで地下の仕入に。

懐かしいこの風景も見らえなくなるな・・・

 

なんとか閉店前に訪れることができてよかった。

感謝を伝えるとともに、全館目に焼き付けることができた。