大河ドラマ「八重の桜」は、いよいよ戦火が会津若松城下へと迫ってきた。
そして藩士家族も城内への避難が触れられた。
これから約1ヶ月の籠城戦が始まり、多くの悲劇が繰る広げられる。
- 作者: 司馬遼太郎
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「ならぬことはならぬ」会津武士道の潔さと忠誠ぶりに、
テレビの前でも涙が流れてしまう。まさに武士(もののふ)である。
司馬遼太郎は、会津藩主松平容保を題材にした小説「王城の護衛者」を残している。
当時26歳の青年藩主は、藩祖保科公の家訓にあくまでも忠実に将軍家を護るため、
あえて”火中の栗”たる京都守護職を拝命し、藩兵1,000名を率いてい京都黒谷に駐屯する。
孝明天皇の絶大な信任を得るが、その死後は薩長同盟、将軍慶喜に翻弄され見捨てられ、
- 作者: 綱淵謙錠
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揺るがぬ忠義と少年のように線の細い華奢な彼の容姿があいまって、
当時の写真とよく似ているし、演技面も素晴らしい!
「八重の桜」(脚本 山本むつみ)と「王城の護衛者」(司馬遼太郎)の描く容保像はよく似ている。
大河ドラマ前半のクライマックス前に、「王城の護衛者」を再読しておくか・・・
容保は戦後鳥取藩に預けられ蟄居となった。それから間もなく蟄居を許され、明治13年には日光東照宮の宮司となった。
正三位まで叙任し、明治26年(1893年)12月5日に東京小石川の自邸にて肺炎のため死去。享年59。
なお、容保は八月十八日の政変での働きを孝明天皇から認められその際、宸翰と御製を賜ったが、それらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。
また会津戦争については周囲に何も語ることはなかった