うちの会社の地下には床屋(理髪室)がある。
いや、あった・・・今は営業していない。
おそらく昭和43年に本社ビルが出来たときからあるのだろう。
昔、先輩に「なんで床屋があるんですか?」 と聞いたことがある。
「本社ビルが建つ前、ここは密集した住宅街だった。
その街の土地を買い集めて敷地を確保する時に、立ち退き応じない床屋さんがあった。
”俺はここで床屋がやりたいんだ!金をいくら積まれたってダメだ”と言って聞かない。
そこで本社ビルの地下で床屋を営業するという解決案が生まれ、床屋さんはH町に残った」
と言ってもお客さんは社員、来客(出版社、書店ほか)のみでとても生計が
立てられる状況ではないが、床屋は営業を続けていた。
入社直後、たまに床屋の前を通ると、
お客さんと世間話をしながら髪を切っていたり、将棋をさしていたり。
そこだけは”下町の長屋”だった。お客さんには経営陣や職制が多かった。
私の最初の上司S係長も常連だった。ふっと姿が見えなくなると、
髪の毛をサッパリして帰ってきた。
今思えば、いい時代だった。
出版業界は黙っていても二桁の伸長を続けていた。
営業の職制の能力にマネジメントは必要なく、いざという時に売行良好書を
どれだけ(力づくで)確保できるかが能力だった。
残念ながら我々の世代は、いい時代を享受していない。
商品の供給が市場の需要を越え、返品が問題視され始めた。
取次業にとって返品は利益を蝕むものだ!
と営業にも返品率、返品量という予算が割り当てられた。
さらにマーケットのシュリンクが追い打ちをかける。
売上予算、返品予算、施策進捗、タイムマネジメント・・・
仕事中に床屋に行く余裕は無くなった。
ある日、S係長がいつもの通り髪の毛サッパリさせて席に戻ると
Y課長に大目玉を喰らった。 時代は変わっていた。
出版界の栄枯盛衰を見てきた床屋(理髪室)は、いつのまにか、
人知れず営業を辞めていた。
この物語はフィクションであり、
登場する会社・人物などの名称はすべて架空のものです。