沢田研二と言えば、80年代前半から中盤に
毎週「ザ・ベストテン」をにぎわしていた情景(シーン)を思いだすが、
あらためてスージーさんに解説されると、楽曲の多彩ぶりを
再確認する。やはりただのアイドル歌手じゃない。
聞いてみると、高校生だった当時、ギターでコピーしていた曲が多い。
先週のチェッカーズ、フミヤとならび沢田研二のハイトーンな歌声は
まさに「ベルベットボイス(柔らかで暖かみのある声)」。
(A面:スージー必聴3曲)
・「TOKIO」(1980)
日本の80年代はこの曲で始まった(1980.1.1発売)歌詞は糸井重里。
後藤次利ワークス。ベースラインに注目。
Dsus4のイントロギター ⇒ 私も高校時代によくコピーしたな~。
・「晴れのちBLUE BOY」(1983)
この曲がシングルになるか・・・9.5万枚しか売れなかった。
「沢田研ニが極まっちゃった?」「歌詞がなくなっちゃった」
・「渚のラブレター」(1981)
スージーさんがヴォーカルとして一番好きな曲。
私もギターでよくコピーしていたGS風サウンド。
サビの高音はすごい! まさにベルベットボイス。
「ジュリーと西川のりお」は志も同じ(笑)。沢田研二feat.西川のりお
(B面:死ぬまでに聴かせたい3曲)
・「THE VANITY FACTORY」(1980)
沢田研二に佐野元春が憑依してしまった(?) ⇒こっちがシックリきた(マキタ
・「ジャストフィット」(1982)
誰でも騎乗させえしまう・・まさに名馬「沢田研二」
・「いくつかの場面」(1975)
この曲のために今日は来た(スージー)。
歌詞に感極まって沢田研二が歌いながら泣いている。
ザ・タイガーズ ⇒ PYG ⇒ 解散 「できるならもう一度僕の周りに集まって」
(マキタスポーツ 今日の一曲)
・「時の過ぎゆくままに」(1975)