歴史群像12月号の巻頭記事がかなり刺激的だった。
「墜落現場の最新調査によって解明する山本五十六の最期」
山本五十六連合艦隊司令長官は、1943年4月18日 ニューギニア東部の
前線視察に赴く途中、米軍機の待ち伏せ攻撃にあい搭乗機が撃墜され戦死した。
(海軍甲事件と称される)
(兵力)
日本軍 :一式陸攻2機(1機に山本長官搭乗)、ゼロ戦6機(護衛機)
アメリカ軍:P-38戦闘機 18機
(被害)
日本軍 :1式陸攻 2機撃墜 (護衛戦闘機6機は帰還)
アメリカ軍:P-38戦闘機 1機撃墜
アメリカ軍情報部は日本軍の暗号を解読しており、山本長官の前線視察を探知、
殺害を目的とした待ち伏せ攻撃を仕掛けた。それに先立ちニミッツ提督は幕僚と
「無能な敵将であれば生かしておいた方が味方の利益である。そもそも山本を
殺害する必要があるか?」という検討を重ねた。その結果
「人望の高い山本の戦死は日本軍の士気を低下させる。山本より優れた将官が
後任になる可能性は低い」という結論に至り。作戦にGoサインを出した。
著者は墜落現場に足を運び最新の調査を行った。
・GPSによる長官機破片の分布分析
・期待残骸の3Dスキャンによる機体被害の再現
そこから導き出された結論は
・1号機(山本長官搭乗機)の被弾は、左斜め後方から右エンジン方向に
18発~30発未満。時間にして0.5秒ほどの一瞬の出来事だった。
・被弾で右エンジンから発火したが、操縦者や操縦系統は健全であった。
山本長官の座っていた座席も被弾していなかった。
・被弾後も正確に海への回避を目指して進路をとった。その途中で
高さ8から9mの樹木に接触して機体が破損し墜落した。
・山本長官の負傷は貫通銃創によるものでなく、右エンジンに着弾した
破裂弾の破片であったと考えられる。
調査データに基づいた非常に説得力のある説に思える。
それよりなにより、全6機が帰還した護衛戦闘機隊の汚名挽回を
記すものではないだろうか。
生還した6名のパイロット(全員20歳そこそこ)は、
「護衛の任務を果たせず、もう生きては帰れない」という重荷を
背負うことになる。軍法会議や処分を受けることはなかったが、
その後の激戦で6人中5人が戦死した。
今回の調査によると敵機18機の襲撃に対して、6機のゼロ戦は
「なすすべもなかった」わけではなく、敵の反復攻撃を許さす、
長官機への有効な攻撃を許さなかった。ただ 一瞬(0.5秒)の銃撃が
結果的に致命傷となってしまった。
被弾後も長官機の搭乗員は、機を海岸に不時着させるべく最後まで最善を
尽くした。また護衛機はそれを援護し、敵の反復攻撃を許さなかった。
涙なくしては読めない。調査結果だった。