今日は、祖母の33回忌と祖父、叔父2人を合わせた法事だった。
祖母の命日は、確か毛沢東の命日と一緒だった気がする。
ちょっと遠い親戚だと、本当に33年振りの再会だった。
こっちも子供だったので、相手の顔は覚えていない。
当時、親戚を地名(字名)で呼び合っていたので、
地名(字名)を言われると、かすかな記憶が浮かんできた。
・・・山入、叶谷、上宿、小田野、松竹、上川・・・
今はバス停にしか残っていない地名(字名)だ。
84歳の叔父(父の従兄)が、出征時に貰った「日の丸の寄せ書き」と「千人針」を持ってきてくれた。
寄せ書きには、祖父、祖母の名前があった。千人針は祖母が作ったそうだ。
戦争をこんなに身近に感じたのは初めてだった。かなり衝撃だった。
その叔父さんが
「叔母さん(私の祖母)に千人針を貰って出陣し、俺は無事に帰ってこれたが、
戦争で息子二人(私の叔父)を亡くした、叔母さんの気持ちを考えると、
その辛さは、筆舌に尽くしがたい・・・・・・」 と言って私の前で泣き崩れた。
これが私の叔父(父の兄)だ。
早稲田大学在学中に、学徒動員で出征し、少尉として
1945年6月に、フィリピン・ルソン島で戦死した。
叔父(父の従兄)が続けた
「戦争が終わって、憲法九条で戦争放棄した筈なのに、5年たったら朝鮮戦争が
始まって、ドサクサで自衛隊が出来ちゃった。人間は懲りないし、欲が捨てきれないね・・・。
自衛隊が悪いと言ってるんじゃない、それを使う奴らだ。戦争はダメダ。それだけはダメダ。」
今や自衛隊は、昭和初期の平時の帝国陸海軍の規模と変わらない。
どんどん海外にも派兵している。
毎年の観閲式では、学徒出陣式と同じ「陸軍分列行進曲」のメロディーで行進が繰り返される。
”いつか来た道”は決して繰り返してはいけない!
今日は、小林よしのり 的なブログになってしまった。
ゴーマンかましてよかですか・・・。