5月15日でJリーグは創立20周年を迎える。
日本サッカー界はこの20年間で驚くべき高度成長を続けてきた。
その原点は、1993年5月15日のJリーグ開幕にある。
当時のニュース映像で必ず流れるのが、
・川渕三郎チェアマン(当時)の崇高な開幕宣言。
・TUBEのギタリスト春畑道哉による「J'S THEME」演奏。
元オランダ代表(スリナム出身オランダ国籍)のマイヤーは、開幕戦こそ初ゴールで名を売ったが、
目立った活躍も見せず、11試合2得点の記録を残して半年で退団、帰国している。
今、51歳となりオランダで暮らすマイヤーの記事が朝日新聞に載っていた。
そのインタビューが笑える。
「”日本なら簡単に25点ぐらい取れるよ”そう言われて、オランダから乗り込んだが、
日本人選手の体は想像以上に頑丈で、自由にプレーさせてくれなかった」
「試合前のミーティングには驚かされた。”ヘニー、ゴール前にいて点を取ってくれ”
監督からの指示はそれだけだった。」
今から20年前、日本サッカーはまだまだ子どもだった・・・
まるで大河ドラマ”八重の桜”の時代、幕末から明治にかけての激動の変化の時代のようだ。
司馬遼太郎は、歴史の中に一瞬だけ登場する人物にフォーカスする。
その人物は、その瞬間だけ登場し決定的な役割を果たす。
慶応4年(明治元年)鳥羽伏見の戦いで、某藩士が伝えた”お見方大勝利”。
この一報が、御所の中で狼狽する公家達の腹を決めさせ。
薩長軍が名実ともに”錦の御旗”の官軍になった瞬間だった。
この某藩士(名前は忘れました)がまさに歴史に一瞬だけ登場する人物だ。
ヘニー・マイヤーも本人は不本意だろうが、そんな記憶となってしまっている。
PS:このミドルシュートはなかなかのものだ!