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原爆投下 黙殺された極秘情報

衝撃的な内容だった。

原爆投下はアメリカによる奇襲攻撃であり、

そのために空襲警報さえ出せなかった

という定説・・・

真実は違っていたようだ。


原爆投下: 黙殺された極秘情報 (新潮文庫)

原爆投下: 黙殺された極秘情報 (新潮文庫)


昭和20年5月、陸海軍の諜報部隊は

マリアナ諸島に展開したB29飛行隊の中に

新しいV600番台のコールサインを発見した。

この正体不明の飛行隊には特徴があった。

 ・機数が12〜13機と少ない。(他の部隊は百機単位)
 ・マリアナ周辺で演習するのみで爆撃作戦に参加しない。


昭和20年8月6日 テニアン島を発進したB29からV600番台の

コールサインを傍受した。その電波はワシントン向けだった。

その特殊任務機は広島上空に侵入し、原爆を投下した。

広島に空襲警報は出されていなかった。


8月9日 再びコールサインを傍受した。「(広島と)同じものが

近く、どこだかわからないけど、数時間後に日本国内のどこかに

落される”危険性大”という電報を軍令部へ打った」

しかし悲劇は繰り返された・・・


8月12日 三度目のコールサインが傍受された。

今回は直ちに警報が発せられた。父島の電探(レーダー)は

大型機一機北上を報じた。「東京に向かっている・・」

三度目の悲劇はなかった。


海軍三四三航空隊の元パイロットは、こう語る。

三四三空は、当時長崎の北15キロの大村基地

本土防衛のために配備されていた”虎の子”と

いえる戦闘機部隊だった。

「落ちない飛行機じゃないんですB29は。私は実際落としてますから。

 非常に難しい飛行機ですが落ちない飛行機じゃない。いまなお悔しいですね。

 敵機が来るたびに毎日のように出撃していたのに、あの日に限って出撃命令を

 出さなかったのか。それだけ情報がなかったのでしょうか」