優勝旗が初めて白河の関を越えて東北地方に渡った。
深紅の大優勝旗を持って堂々と球場内を行進する、
仙台育英の選手たちが眩しかった。
私は東北や仙台に深い縁があるわけではないが、
出場校を応援する東北愛を聞いてしまうと、心が動かされた。
(さすがに好感度一位のサンドウィッチマンだ)
それに「白河の関を越える」という言葉に代表される、東北代表初の優勝
というドラマ性もある。甲子園の優勝旗は駒大苫小牧により津軽海峡を
越え、沖縄尚学、興南により沖縄にも渡った。残るは東北だけだった。
決勝戦当日の朝、TBSテレビ「THE TIME」では
安住さんが「白河の関」をフリップを使って説明していた。
そうか・・・白河の関って言っても分からない人が多いのか。
※白河の関
古代日本の関所の一つ。鼠ヶ関、勿来の関と並び「奥州三関」。
薩長からは「白河以北一山百文」(東北地方には山一つにつき100文の価値
しかない)と蔑称された。
宮城県を中心とした地方紙「河北新報」は、この「白河以北」から「河北」
の文字を取り、東北軽視への反発と東北の復興を誓って創刊された新聞だ。
優勝の日、河北新報の号外が仙台の街に舞った。
すべてが感動的だった。
そして敗れはしたが準優勝の下関国際の選手の面構え
・・・皆、戦士の面構えだったが印象的。