Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

料亭  雑司ヶ谷 寛

料亭「雑司ヶ谷 寛」に行く機会があった。

日本女子大学前の不忍通りから一歩入った道に面し、

昭和初期の邸宅をそのまま個室料亭にしている。

このあたりはきっと昔はお屋敷町だったんだろう


   雑司ヶ谷 寛


なんとこの建物は、昭和初期の小説家「三角寛」の邸宅をそのまま利用しているそうだ。

三角寛と言えば「山窩(サンカ)小説」作家として有名であり、映画館「池袋文芸坐」の設立者でもある。

ビールグラスは映画スターのイラストが描かれたものだった。

山窩(サンカ)」、「文芸坐」・・・ 意外なところで繋がりがあるものだ。


   


部屋は名物の一の間”弁天”。 ひとのよ弁天様がかざってある客間。

料理は私などが評するまでもなく美味しい。

そして静寂のなかでゆったりと日本酒を飲み、美味しい食事に舌鼓をうつ。

この上ない贅沢な時間を過ごせた。


大正から昭和にかけて、多くの文士が居を構えた雑司ヶ谷

都会の真ん中にぽっかりと懐かしさを感じる街並み、空間があった。


三角 寛明治36年(1903)〜昭和46年(1971))

大分県竹田生まれ。本名三浦守、僧名釈法幢。
大正15年朝日新聞社に入社、東京北部の警察回りの記者となり説教強盗の報道で話題となる。
永井龍男の勧めで小説を書き始め、『婦人サロン』に『昭和毒婦伝』を連載し文壇デビュー。
『怪奇の山窩』『情炎の山窩』『純情の山窩』など山窩(サンカ)小説を開拓し、流行作家の道を歩む。
戦後は、吉川英治徳川夢声井伏鱒二らを株主とする映画館『人世坐』『文芸坐』を経営にあたった。


山窩物語 (三角寛サンカ選集)

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サンカの真実 三角寛の虚構 (文春新書)

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