Makotsu Garage

本と映像と音楽の記録(ガレージ)

志の輔らくご in PARCO

1月28日(月)に「志の輔らくご in PARCO 2013」に行ってきました。

正月の風物詩「パルコ」は昨年に続き2回目。

今年もチケット入手には苦労しました・・・



演目は、まくらの後に「親の顔」。これを聞くのは2回目だが面白い。

この作品は、志の輔さんがプロになってから初めて創作した落語だそうだ。

そして、映像(スライド)上映の後に新作の「暦質屋」。 

仲入後に、一時間以上におよぶ大ネタ、「百年目」。



新作の「暦質屋」が良かった。

明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦1873年1月1日)とした

太陽暦導入の経緯をマクラにして、暦の切り替えの時の

”長屋の人々”と”質屋の主人”の混乱ぶりが非常に面白い。


明治政府は、明治5年も押し詰まった同年11月9日に太政官布告を突然発布した。

來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」(明治5年太政官布告第337号)

つまり1ヶ月先の12月3日を明治6年の1月1日とする言うのだ、施行までの期間がたった1カ月!

これでは社会的な混乱が起こらないわけがない。



明治政府はなぜ、これほど急な新暦導入を行ったのか?

志の輔さんが落語で語ったのと同じことがウィキペディアに載っていた。

これほど急な新暦導入は、当時参議であった大隈重信回顧録『大隈伯昔日譚』によれば、

政府の財政状況が逼迫していたことによる。すなわち、旧暦のままでは明治6年は閏月があるため13か月となる。

すると、月給制に移行したばかりの官吏への報酬を1年間に13回支給しなければならない。

これに対して、新暦を導入してしまえば閏月はなくなり12か月分の支給ですむ。また、明治5年も12月が2日しかないので、

11か月分しか給料を支給せずに済ますことができる。さらに、当時は1、6のつく日を休業とする習わしがあり、

これに節句などの休業を加えると年間の約4割は休業日となる計算である。

新暦導入を機に週休制にあらためることで、休業日を年間50日余に減らすことができる。


なるほど・・・この話、あなたはガッテンできましたか?