江戸時代の大坂には武士が何人ぐらいいたの?
昔からこの疑問が引っかかっていた。
「天下の台所」「商都」「町人の都」と称された大坂にも
幕府直轄領としての統治機構と、それに仕える武士がいたはずだ。
それはどんなシステムで、何人ぐらいだったのか?
この点に興味がある。(以前もブログに書いた)
この興味に明確に応えてくれる新刊を見つけた。
講談社学術文庫「武士の町 大坂」(2020年6月)。
結論を一言でいうと
「たった2%の侍が"町人の都”を動かしていた」だった。
※以下本書より
(大坂の武士人口)
・大阪城内居住者 3,160~3,555人 (城代、定番、大番、加番)
・奉行所、代官所 650人 (東西町奉行、六役奉行、幕府領代官)
・与力・同心ら 3,000人 (定番付、町奉行付、船奉行付)
以上総計で 7,710人 ~ 8,150人
(大坂の人口)
423,453人 明和二年(1765年)
武士の人口比は1.82%~1.92%
※同時代の江戸は人口1,220,000人で半数が武士。江戸は別格としても、
各藩の城下町の武士人口は10%程度なので、大坂は「町人の都」だった
ということがわかる。
大坂の武士は、番方(大坂城の守衛部隊、純粋な戦闘員)として
江戸から単身赴任する旗本や、城代、奉行、蔵屋敷付けとして大阪に
転勤してくる大名・大身旗本とその家来のグループと、
現地で採用されている下級武士、与力・同心グループに大きく分かれる。
その構図はあたかも、出向組とプロパー組で対立する
「東京セントラル証券」(ドラマ半沢直樹の劇中に登場)のようだ。
いつの時代も同じだな・・
「大坂武鑑」という大坂駐在の大名、旗本、代官から与力・同心、中間まで
すべての人名と役職を網羅したガイドブックが出版され、ベストセラーだった。
主な購入者は商人で、武士相手の商売には欠かせないものだったらしい。
名刺代わりに・・公共事業受注?、官僚接待?、賄賂攻撃?
こちらも、いつの時代も変わらない・・・(笑)
幕末の大坂城古写真